この春のWBCで日本代表を世界一に導き、日本中を歓喜に沸かせた前監督の栗山英樹さん。実は栗山さんは、昨年亡くなった京セラ創業者・稲盛和夫さんの著作から多大な影響を受け、WBCでも稲盛さんの言葉を胸に戦いに挑んでいたと言います。その情熱の思想を綴った書籍『熱くなれ 稲盛和夫 魂の瞬間』(講談社)がミモレから刊行されたご縁で、侍ジャパンの監督を退任されたばかりの栗山さんに、稲盛さんの教えとWBC、そして人生について、熱いお話を伺うことができました。(第2回/全3回)
栗山英樹(くりやま ひでき)
1961年生まれ。東京都出身。創価高校、東京学芸大学を経て、1984年にドラフト外で内野手としてヤクルト・スワローズに入団。89年にはゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍したが、1990年に怪我や病気が重なり引退。引退後は野球解説者、スポーツジャーナリストに転身した。2012年11月、北海道日本ハムファイターズの監督に就任。翌年、監督1年目でパ・リーグ制覇。2016年には2度目のリーグ制覇、そして日本一に導いた。2021年まで日ハムの監督を10年務めた後、2022年から日本代表監督に就任。2023年3月のWBCでは、決勝で米国を破り世界一に輝いた。
ムネの打順を変えたのは、怒らせたかったから
栗山さんは長く北海道日本ハムファイターズの監督を務められましたが、プロ野球チームの監督と、日本代表の侍ジャパンの監督とはやはり違ったと思います。選手に対しても接し方など、変えておられたのでしょうか。
栗山英樹さん(以下、栗山):調子がなかなか出なかったムネ(村上宗隆選手)の打順を当初の4番から変えたのは、状態が上がってこなくて、なんとかしたかったからでした。もしこれがファイターズだったら、黙って打順を変えたでしょうね。なぜなら、怒らせたいから。
違う発想を選手に持ってほしいんですよ。一生懸命やり過ぎているところを、ちょっと角度を変える。知らん顔して打順を変えられたらムカつくはず。「この野郎!」とかなるじゃないですか。それが狙いです。
ずっと丁寧にやっていたけど、何かの拍子に開き直ってよくなるとか、そういう瞬間が欲しいからです。それこそ僕は嫌われていいので。そんなことよりも、チームのために選手を活かすことが僕の仕事ですから。
ただ、ムネのときは監督室に呼びました。どんなリアクションを彼がするのか、一緒にやっている時間が短すぎてわからなかった。性格が把握できていないから、もう少し丁寧にやらないといけないと思っていました。
打順を変えると伝えたとき、村上選手はどんなふうにおっしゃったんですか。
栗山:いや、もう本当にいい子なんで。「監督、わかりました! 勝ちましょう!」って、そんな感じでした。あの素直さ、純粋さが、彼を最後まで走り抜けさせてくれたんじゃないでしょうか。
こっちはムネを怒らせようとしてたんで(笑)。そうしたら、素に戻って、調子も戻るんじゃないかと。やっぱり悩んでいましたから。状態が上がらないときというのは、やっぱりあるんですよ。気持ちだけではなくてね。
【写真】監督退任の数日後、WBCを振り返る栗山英樹さん
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