「可愛さ余って憎さ100倍」「愛は憎しみに変わる」なんて言葉がありますが、本当にそうなのでしょうか?
愛する人を憎んだとき、気づいたほうがいいことがあります。それは何でしょうか?

 

愛しているようで、愛していないことも

“本当の愛”は憎しみに変わらない。愛する人を憎んだとき、気づいたほうがいいこと_img0
 

愛しているパートナーに別れを切り出されて、逆上してしまったり、憎んだりしてしまう人は少なからずいます。
もちろん浮気をされた、騙されたなどで「信頼を裏切られた」場合は、恨む気持ちも分からなくはありません。

でも、そうではなく、2人の関係に問題があって、パートナーの愛が冷めてしまったのだとしても、相手を憎んでしまう場合は、そこにあるのは、“本当の愛”ではないのかもしれません。

“本当の愛”とは?


“本当の愛”とは、無償です。「自分が愛したら、何かをしてもらう」といった見返りを求めるものではなく、相手の存在をただただ愛するのが、“本当の愛”です。

だから、“本当の愛”であれば、相手を憎むことは少ないのです。
もちろん、相手だけでなく、自分のことも愛するのは大切なので、「私を裏切ったから、憎たらしい」「私を不幸にしたから、許せない」という気持ちが沸くのは仕方のないことです。
ひどいことをされても許さなくてはいけない、なんてことを言っているわけではありません。

ただし、もし「ずっと私のパートナーでいてくれなかったから(=自分の理想通りの人でいてくれなかったから)、憎たらしい」と思う場合は、そこには“本当の愛”がないのかもしれません。

人を愛するとは、「“ありのままの相手”を受け止め、相手の成長と幸せを願うこと」です。相手に理想を押し付けたり、自分の都合の良い言動を求め、コントロールしたりするのは、「愛」ではありません。

また、相手が「一緒にいないほうが幸せになれる」と感じているのであれば、その手を放してあげることこそが、愛情です。

もちろん大切な相手であればあるほど、離れるのは耐えがたい苦しみがあるので、心が壊さないための自己防衛として、「相手を憎んで楽になろう」とすることはあるでしょう。
ただし、そういった場合、たとえ別れた直後は憎しみを抱いたのだとしても、少しずつ自己を取り戻し、相手を許そうという気持ちになってくることが多いものです。

逆に、相手に復讐したいと思うほど憎み続けてしまう場合は、その人は、「愛を勘違いしている」のです。
「愛を勘違いしている人が抱いているもの」があります。それは何でしょうか? 次のページで紹介します。

次ページ▶︎ 「愛を勘違いしている人が抱いているもの」とは?

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