いつも周りの人たちを気遣うような思いやりのある人だから

ご成婚当日の朝。当時の雅子妃とご家族。写真/JMPA・講談社

一方の日本の皇室でも、ある意味“待ち続けたこと”が、結果として素晴らしい結婚に結びついたというふうに、今ならば言えます。もちろん、やりがいのある仕事を捨てなければいけなかった雅子さまの立場を考えれば胸が痛む部分もあったし、これまでの道のりも平坦なものではなかった訳ですが、今のお二人の仲睦まじさ、素敵な親子関係には、この結婚の意義がはっきりと浮き彫りにされてきます。

なぜ当時の皇太子が5年間もじっと耐えるようにその時を待ったのか、待たざるを得なかったのか、それが今、深い感慨と納得をもたらしているのです。

「雅子さんではだめでしょうか」と漏らされた心情には、単なる恋心以上に、こんな判断があったとされます。

「雅子さんは、いつも周りの人たちを気遣うような思いやりのある方でした。はにかむような笑顔も印象的で」

大層なエリートで有りながらも、周囲に気を配ることができるシャイで控えめな人……そういう評価のもと、もうこの人しかないという思いに行き着いてしまったのでしょう。言うならば、ウィリアム王子と同じ責任感から。

皇太子時代、例の「ティファニーであれこれ買い物をするようだと困る」という発言で物議を醸した二十歳の誕生日会見で、“結婚するお相手”について、さらにこのように踏み込んだ内容まで語っています。

“人の苦しみや悩みとかの心情をおしはかって、思いやれる人がいい”とし、いろいろな経験を積んでいる人なら人の心が分かってくるはずで、家柄がいいゆえに世間知らずに育ってしまって他人の心が良く分からない人では困ると。

いかに帝王学を学んできた人とは言え、20歳という年齢でそこまで老成した価値観を持てるものなのだろうかと、とても驚いたことを覚えています。結婚のお相手に関しては、本当に誰にとっても素晴らしい女性を選ばなければいけないと、それこそ命がけで思っていたに違いないのです。

それがあの有名な発言「雅子さんの事は僕が一生全力でお守りしますから」との表現につながっていくのでしょう。いやこれでもまだ気持ちを抑えた内容だったのではなかったかと思うほど。雅子さまが心を動かされたという一言には、その言葉以上の感情が秘められていたのではないでしょうか。この人以外いないという。

 


「どうしてもこの人でなければならない」という境地

インドネシアへ公式訪問。2023年6月。写真:毎日新聞社/アフロ

じつは一般論としても、おそらくは心理学的な見方なのでしょうが、本当の意味で世の中のために生きたいという強い使命感を持った人ほど、自分の伴侶について、揺るがない理想を貫くと言われます。

つまり、そういう理想の人に出会ってしまうと、恋愛感情を超えて、この人でなければいけないという強い信念が生まれ、いかなる邪念も生まれず、その人だけ思い続けるのだと言われるのです。それって神の采配なのではないかというほどに。

そういう意味で、日本の天皇も、ウィリアム皇太子も、本当に、信じられないほど一途でした。キャサリン妃と一時的に別れていた時、他の美女に目移りしていたという報道もあったりしましたが、それが本当だったら2ヶ月弱で復活ということはありえない。一度そういう冷却期間を置いたことで、迷いがなくなったとも言われます。必要なブランクだったのです。

写真:PA Images/アフロ

ちなみに、人間の性格を16に分ける16パーソナリティーズにおいて、どういう風に結果を出したのかは不明ですが、キャサリン妃は「自分よりも人のことを優先する、とても利他的にして理知的な人物。控えめながら人の心を動かすことができ、結果として世の中をを変えることもできる“養護派”」というカテゴリーに属しているとされます。

有能なのに人に尽くせるという、そういう人格であることに確信を持つまで、ウィリアム皇太子はじっくりと10年近くかけたとも言えるのです。

そして日本の天皇にとっても、沈黙の5年間は確信を得るために必要な時間だったのかもしれません。その間、1度も会うことがなかったとしても、日本の皇后にふさわしい人はこの人しかいないという確信を得るための、厳かな時間として。

二つの結婚はそういう意味で、揺るぎない共通点を持っていました。すべての国民に理解され信頼を得るための結婚、そのために気が遠くなるほど長く濃密な時間をかけたこと……なんだかちょっと、心が洗われるよう気がしませんか?


構成/藤本容子
 

 

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