「音」に慣れて開放された新しい世界

「湖水の碧と空の青、水田の緑、それが水平に重なり広がっていく」景色は、思わず深呼吸したくなる美しさ。(写真:『66歳、家も人生もリノベーション 自分に自由に 水辺の生活』より)

人工内耳の聴こえには個人差があり、半年から2年のリハビリで、会話ができるようになる人もいれば、それを言葉として認識するまでにいたらない人もいる。

後者であったとき、またそれを一から乗り越えなければならない。
面倒だな、と思ったのです。
それを覆したのが、うちの飼い猫でした。

となりの空き地の円筒に入ったはいいけど、そこから出られなくなってしまった。帰宅した夫が、その叫び声に気づき、救出しました。車の中からでも聴こえるような声だったそうです。私には聴こえませんでした。

そのとき人工内耳の手術を受けようと思った。会話ができるようにならなくてもいい。どんな人工音でもいい。でもせめて猫のSOSの声は聴き取れる飼い主でありたい。

京都大学病院で手術を受けたのは今年の早春でした。

人工内耳とは言いますが、外耳も中耳も使いません。自分の耳をショートカットして、体外の集音装置が電気信号に変換した音を直接、内耳の聴神経へ送り、それを脳が音として認識する。でも聴こえるのはあくまで人工音です。金属音。

私の場合は、グロッケン(大きな鉄琴。美しい音です)が喋っているような感じ。宇宙人のような声、と表現する人もいます。でもそれが1年、2年するうちに、脳が記憶の音とすり替えていく。すごいですよね。人間の脳は。

猫の声はすぐに聴こえるようになりました。最初は電子レンジの音と区別がつかなかったのですが、最近は猫の声として聴こえます。

夏は湖畔も、蝉の声で満ち溢れていました。静かな波音も聴こえます。
だから期待しているのです。秋の音、鈴虫の音を。
子どもの頃に聴いたことがあるからです。

 
 

『66歳、家も人生もリノベーション 自分に自由に 水辺の生活』
著者:麻生圭子 主婦と生活社 1760円(税込)

難病(若年発症型両側性感音難聴)の進行によって、人気作詞家からエッセイストへ転身した麻生圭子さんが、人工内耳を入れた今、夫と猫、そして「音」とともに送る新たな湖畔での生活を綴ります。古い小屋を夫婦でリノベーションし、より楽しく、前向きに、好きなものに囲まれて暮らす麻生さんの生活は、「ダウンサイジングしない老後」を楽しむヒントが満載! こだわりのインテリアや、自然と共に心地よく生きる暮らしの様子を、豊富なカラー写真と共に紹介します。



撮影/石川奈都子、麻生圭子(著者)
構成/金澤英恵