時代が変わる時、バックラッシュが起こる

写真:Shutterstock

時代が変わる時って、たとえいい変化でもバックラッシュ(反動、揺り戻し)があるものです。例えば、多様性の尊重が叫ばれる中で、「多様性と言うなら、LGBTを差別する自由も認めろ」みたいな意見も本当によく見ます。不同意性交罪が施行され、性的同意の重要性が強調されるようになって、「ムードが壊れる」「何もできなくなる」といった反発も聞かれます。

先日、フジテレビの第533回 番組審議会議事録概要で「人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり、テレビ局の挑戦も締め付けられ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか」という記載があったことも話題となりました。

こういった「コンプラコンプラうるさい」「何でもハラスメント」「行きすぎた多様性」そのせいでこっちが生きづらくなってつまらなくなった、みたいな反応も、まさにバックラッシュの典型でしょう。

よく、昔は自由だった、という声を聞きます。今みたいにガミガミ言われることもなかった、何をしても許された、と。でも、その自由って、マジョリティや強者にとっての自由だったのではないでしょうか。その裏で、踏みつけられてきた人たちがいるということを考えるべきでしょう。

 

当事者を丁寧に描いたドラマ「おっパン」

写真:Shutterstock

練馬ジムさん原作の『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』(フジテレビ系)、通称「おっパン」は、「お茶は女性が入れたほうが美味しい」なんて平気で言ってしまう、ザ・昭和おやじの沖田誠(原田泰造)が、高校生の息子・翔(城桧吏)に「僕はお父さんみたいな人には絶対なりたくない!」と言われたことをきっかけに自らをアップデートすることを決意。翔の友達でゲイでもある大学生の大地(中島颯太)との対話で気づきを得ていきます。

おっパンでは、主人公の誠が令和のコンプラ、ハラスメント、多様性といった現代の流れと自らの価値観のギャップを埋めていこうとします。誠は今まで自分の価値観を押し付けたことで傷つけてしまった人たちに今から謝ることはかなわないけど、せめて自分を変えたい、と言います。

誠は自らの昭和的な価値観からくる行いを「社会がそうだったから」と言い訳せずに、ちゃんと向き合うし反省します。このドラマは「昭和も令和もどっちもどっち」、にしないんです。昭和にも令和にもいいところも悪いところもある、は事実ですが、少なくともコンプラやハラスメントに関しては「コンプラガン無視でハラスメントなんて概念もなかった昭和」と「コンプラ重視になってハラスメントに厳しくなった令和」はどっちもどっちなんかではありません。

全体を通しても、時代の変化は“必要なもの”として描かれており、『不適切にもほどがある!』と同じように価値観の変化に戸惑う人が描かれていながら、「何でもハラスメントって言われちゃう」「多様性多様性って言うけど~」という空気とは対照的。なぜなのかを考えてみたのですが、翔や大地、円(東啓介)といった、従来の価値観の人から無理解を受けやすい当事者が登場するからではないかと思うのです。