「結婚式って“そういうもの”じゃない?」

後日、同世代の友人に、ファーストバイトでのアナウンスなどの話をしたんです。「結婚式って、よく考えるとすごく前時代的な意味のあるものが多いんだよね」「最近はそういうのが嫌で、カスタマイズする人たちもいるらしいよ」と言うと、こう返ってきたんです。

「えー、でも、結婚式って“そういうもの”じゃない? いちいち気にする人って、こだわりが強すぎると思う」

その友達は割と保守的な考えの子ではあるのですが、その発言を聞いた時、ものすごくショックでした。

SNSで、結婚式の様々な行程の由来や意味を知って、気持ち悪い、絶対に嫌という人に対しても、「思想が強い」「こだわりが強すぎ」なんてコメントがつくことがあります。でも、筆者は、結婚式の様々な行程の由来や意味を受け入れて、“そういうもの”だと思える人も、十分思想が強いと感じます。

だって、その人たちが受け入れているものには、家制度の名残である慣習が色濃く残っており、それは現代にも男尊女卑というゴリゴリの思想が連綿と受け継がれている証拠でもあるのです。めちゃくちゃ強烈な思想が折り込まれているものに違和感を持つ人と、肯定する人。さて、どちらのこだわりが強いんでしょう? それに目を瞑るというのは、無自覚だとしても、肯定してしまっているのも同じだと思ったりします。

 

形骸化したものすらも継承され、生きながらえていく

いちいち意味を気にする人がおかしい、という友人の発言を聞いて思ったことがあります。前回記事で取り上げた結婚式参列時の謎マナーの話もそうですが、こういった古い時代の慣習って、それを積極的に肯定する人たちよりも、深く意味を考えずに“そういうもの”だと受け入れてスルーする人たちによって、形骸化したものすらも継承され、生きながらえていくのだな、ということです。

もちろん、古くからあるものには大切なものだってあります。でも、良くないものは変えていく必要があるのではないでしょうか。意味を考えずに受け入れてしまえば、良くない慣習を温存することに加担しかねません。立ち止まって一つひとつの意味を考えることは、きっと無駄なことではないと思うのです。


イラスト/Sumi
文/ヒオカ
構成/金澤英恵
 

 

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