告知された本人のショックも相当


「夫はそれまで健康そのもの。大きな病気をしたことは一度もなく、健康診断も前職の社員用健診を受けているだけでした。彼のショックも相当なもので……告知を受けたとき、貧血で立っていられないほどでした。それはもう、見ていられないほど。その晩、無言で手を握り合い、途方に暮れました。

だってまだ40歳になったところで、正直に言ってがんを警戒するのはもう少し先のイメージで。でも思えば、転職前も体に負担はかかっていましたし、転職後は残業が急激に増え、ストレスもあったと思います。それを働き盛り、今が頑張り時、と思って励まして支えているつもりでした。でも妻として、もっともっと健康を気遣ってあげるべきでした」

突如として窮地に立たされた正敏さんと千鶴さん。

手術はその春、すぐに行われます。詳しい病理検査の結果、がんは摘出した腎臓の中にかろうじて収まっていたものの、転移のリスクはあり、抗がん剤による治療は長く続くことになりました。

「当時、5年生存率は3~4割だと告げられました。今ならば、きっと医療の進歩もあるし、回復を信じることもできると思うのですが、当時の私は立っていられないほどの衝撃を受けて。

顔面蒼白になる夫の横では、必死で『大丈夫、大丈夫』と励ましていましたが、家に帰って子どもたちの顔を見たとたん、声を上げて泣きました。いつも私たち家族を温かく支えてくれる人です。もし彼がいなくなってしまったらどうしよう。夫がいないなんて考えられないというのが正直な気持ちです。この子たちはどうなるんだろうか。それにこれからお金が一番、かかるときです。ギリギリだけどなんとかなると信じて、私立中学に二人も進学させてしまいました。私もフルタイムでパートに出ようとしていましたが、それは夫婦が健康で働けるという設定のもとでした。

夫ひとりの収入に頼ってきた危うさを痛感しました。甘かったんです。自分の家だけは全員普通に物事が進むって、どうして思い込めたんでしょう。でも3人の子育てに追われて、人生に潜むリスクと対峙することなく、15年近い結婚生活を送っていたのです」

 

当時の心細さを思い出し、取材中涙を流す千鶴さん。たしかに楽観的な人生設計だったのかもしれません。しかし、妻が子育てに専念というのは決して珍しい状況ではありませんし、千鶴さんは毎日を精一杯、子どもに良かれと思うことを選択しながら忙しい夫を支えてきたのだと思います。

ただ、運が悪く、夫ががんになってしまった。しかも半年ほど経ち、正敏さんにがんの転移が見つかってしまいます。正敏さんが転職したベンチャー企業は、なんとかそれまでは休職扱いにしてくれましたが、先が見通せないとなると方法を考えなくてはと告知があったそうです。

「今でこそそんな弱いことでどうする、と思いますが、このとき一瞬、私が代わりに死んでしまいたいと思いました。私には子どもたちを育て上げる器量があるとは思えなくて。彼ももちろんショックに耐えられないという様子で、お互い自分が崩れ落ちないのに必死でした。とにかく私はうわごとのように『大丈夫、大丈夫だからね』と繰り返していました」

自分たちは「5年生存率3~4割」じゃないほうを引いたのだと思い、一人のときは泣きに泣いたという千鶴さん。

病魔は人もタイミングも選びません。経済状況や家族の様子はひとつとして同じパターンはなく、その恐ろしさや心細さは誰かと共有しがたいのが現実。苦しみや心配は侵されたひととそのご家族にしかわからず、当事者が翻弄されながらも治療と人生の再設計に対峙していくのが現実です。お話を伺って胸がひどく痛み、そして決して他人事ではないことを痛感しました。

後編では、失意のなかでの夫の変化と妻の決意、そして夫婦が家庭を守るために具体的に起こした行動を伺います。


写真/Shutterstock
取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
 

 

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