ただ悲しいだけでなく
感謝の気持ちに変わる日がくる

 

岸見 もう一つ言っておかなければいけない、と思っているのは、悲しいことは悲しい、ということです。
死というものはどういうものか、私は哲学者ですからいろいろ考えています。でも、誰も死んだことがないんですよ。死んでこの世に戻ってきた人はいないのです。

だったらそれがいいものか悪いものかは誰にもわからない。だから怖いものとは限らない。ただ確実なことは、死は別れであるということ。これは疑いようのないことであって、別れが悲しくないはずなんかない。だから思う存分悲しまないといけないのです。
これが中途半端だと悲しみが長引きます。

私は、母が亡くなったとき気丈にふるまいました。人前で取り乱してはいけないと思ったのです。でも自分の気持ちを我慢すると、後に引きずってしまう。だから人目をはばからず泣いていい、それが回復につながると思うのです。

悲しみの感情はこれからも起こるでしょう。もちろん楽しいこともあったけど、でも「もういない」と思ったときに、やはり辛い思いをすることもあるでしょう。
そのときに悲しみを抑えてはいけない。すると、やがて悲しみが感謝に変わってくるのです。これは今はまだ伝わらないかもしれませんが……。

小林 いえ、そんなことないです。

岸見 別れは悲しみでもありますけど、死別した人に対する感謝の念は必ず起こってきます。
私の父は亡くなる直前、もう意識はなかったのですが、大粒の涙を流したのです。あれは何かを伝えようとしたのだと思います。
あのとき私は延命治療をしないでほしいと言っていましたので、父の心電図がフラットになってからも、看護師さんとドクターは気を遣ってくれたのでしょう、すぐに病室には来なくて、私と妻と父の3人で長く一緒に過ごすことができました。

そのとき私は、悲しかったのですが、「父と一緒に人生を歩めて良かった」と思いました。「父とこの人生で出会えて良かった」、そういう感謝の気持ちです。
だから父も涙を流したのだろう、と。死はただただ悲しいものではなく、感謝の気持ちに変わる日がくるだろう、そういうふうに思うのです。


少しでも元気になることが
生き残った者がしなければいけないこと


岸見 韓国で講演したときのことです。このとき、けっこう叩かれました。アドラーは「トラウマはない」とか「過去はない」とか言っていますから、「何て薄情な心理学だ!」と。

小林 アドラーは劇薬ですからね。

 

岸見 彼らは「だって我々はセウォル号事件で心に深い傷を受けているのだ」と言いました。
そこで私がどういう話をしたかと言いますと、もしあの事件で亡くなった人が、何らかの形で自分の家族の生活を垣間見ることができたとき、前と違って少しは元気を取り戻して仕事ができるようになっている、そういう様子を見れば喜ばれるだろう、と言ったのです。

もちろん死は悲しいことですから、悲しくなんかないということはあり得ません。でも自分が亡くなったことでいつまでも仕事が手につかない、毎日泣き暮らしている、ということを見て、亡くなった方が喜ばれるとは思わない。
だからあなたができることは少しでも元気になることだ、と。すごく元気にならなくていいから、少し元気になりましょう、と。それが日本的な言い方をすると「供養」ですし、それを見届けたとき、これも日本的な言い方ですけど、亡くなった方は「成仏」する。だからあなたができることは少しでも元気になることだ、と話したのです。

そのとき講演会場にいた人が泣き出されたのです。まずは通訳の方が、続いて会場の人が泣き出されて、居たたまれなくなって会場から出て行った人もいました。
「悲しいから悲しい」でいいと思うのです。でも、やがて少しは元気になってほしいのです。それが、生き残った者がしなければいけないことだ、と考えています。

小林 時間はかかっても……。

岸見 一朝一夕には無理です。私も、父や母のことを思い出すと、今でも泣きそうになりますからね。でも、母が亡くなって10年ぐらい経ったとき、母の夢を見ることはなくなりました。

亡くなった人の夢を見るというのは、亡くなった人とやり残したことがある、ということ。でもあるときから、母の夢を見なくなったのです。それで母と離れていくことができた。そういう日もやがて来ます。「あの子のことをあまり思っていないな」と気づく日がくる。

それは薄情ではなくて、亡くなった人も喜んでくれることだと思うのです。だから小林さんも、少しずつ仕事もしていかれたらいい。私が伝えたいのは、そのようなことです。

小林 おっしゃる通り、悲しみは消えないですもんね。

岸見 でも、ただ悲しいだけではなくなってくるのです。悲しみの質が変わってきます。

小林 自分のタイミングで妹の話をする時は心を保てるようになりました。でも突然、妹のことを聞かれたり、予期しないタイミングで動画や写真を目にしたり、というのは、かなり辛いです。そういうことも、先生のお話を聞いていると、徐々に受け入れられるのかなという気もしました。