そしてやってきたうちわタイム。いそいそと観客がうちわを取り出したときに気づいたのです。あ、これ、推しに認知されるやつだ、と。冷静に考えるとそりゃそうなんですけど、なぜかその瞬間まで推しが自分のうちわを目にする可能性があることについて1ミリも考えが及ばなかった自分をフリーザさまにお願いして木っ端微塵にしてほしい。もう全身から血の気という血の気が一瞬で引いた。サーモグラフィーにかけられたら、間違いなく真っ青。なんならちょっと死後硬直とか始まってた。
推しの目に入りたくはない。だけど、推しにファンがいることは世に知らしめたい。相反するふたつの気持ちが内部分裂を起こした結果、生まれたのはうちわで顔を隠したまま地蔵と化した僕でした。
推しが進む道のタイルのひとつに、僕はなりたい
自分でも面倒くさい人間だなと思うわけですが、そもそも僕は生まれてこのかた一度も同じ美容院に二度行ったことがない人間。自分なんかが美容師さんを指名するなんておこがましすぎるし、かと言って指名せずに行って別の美容師さんに担当してもらったら、前の美容師さんが悪かったって言ってるみたいで申し訳ないし。と、過剰すぎる自意識が堂々巡りした結果、ひたすらホットペッパーで行ったことがない美容院を探す修行僧のような日々を送ってきました。行きつけのバーとか定食屋とかも一切ない。
「卑屈」と書いて「よこがわよしあき」とルビを振りたい我が人生。推しから認知されるなんてパラシュートなしに上空4000メートルからスカイダイビングするようなもの。この気持ち、突きつめていくと、認知されることにより推しと自分の間に双方向の矢印が生まれてしまうことが怖いんだと思います。なぜならその次の瞬間から、何か見返りを求めてしまったり、もっと特別な何かになりたいと欲望が膨らんでしまう。そういう不毛な承認欲求戦争は、現実の人間関係だけでじゅうぶんなのです。
推すとは、文字通りこちらが勝手に一方的に推し続けるから楽しいのであって、相手に何かを要求したり、こんなに捧げているのにと被害者意識が生まれたら、それはもう終わりの始まり。
せいぜいなりたいものがあるとしたら、推しが選んだ役者という道のタイルのひとつ。タイルなら目にもとまらないし気にもしない。推しが気づかぬうちに自分というタイルを一枚踏んで、さらに先へ先へと進んでくれれば、もうそれでじゅうぶん幸せ。あとは今日も推しがおいしいご飯を食べて、ぐっすり眠れることを祈るだけ。そして私は今日もリストからこっそりと推しのツイートを覗くのです。
前回記事「自粛生活では新たな推し=生きる燃料。朝ドラ俳優・窪田正孝の底知れぬ魅力」はこちら>>
「推しが好きだと叫びたい」連載一覧
第1回:あの日“推し”に出逢って、僕の人生は変わった
第2回:荒みがちな心を癒すのは“推しのいる生活”
第3回:ドラマ『恋つづ』から考える、推しのラブシーン問題
第4回:自粛生活では新たな推し=生きる燃料。朝ドラ俳優・窪田正孝の底知れぬ魅力
第5回:こじらせてると解ってる、でも言いたい「推しに認知されたくないオタク」の本音
第6回:「推しの顔が好きすぎて語彙力死ぬ」問題をライターの僕が本気で考えてみた【ライター横川良明】
第7回:やっぱり顔が好き!顔から推しに堕ちたオタクを待つさらなる落とし穴【ライター横川良明】
第8回:SNSで話題の史上最強沼・タイBLドラマ『2gether』の素晴らしさを語らせてくれ
第9回:ナイナイ岡村の炎上騒動から考える「長く愛される推し」に必要なモノ2つ
第10回:転機は高橋一生だった。推しの肌色面積問題、着てる方が好きなオタクの意見
第11回:オタクの心の浄化槽。男子の“わちゃわちゃ”が今の時代に求められる理由
第12回:推しが好きだと叫んだら、生きるのがラクになった僕の話
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