劇団「青年団」を率いる劇作家、演出家にして、演劇を活用した教育活動の普及にも励まれている平田オリザさん。2018年9月から一年にわたった雑誌「本」での連載が、『22世紀を見る君たちへ これからを生きるための「練習問題」』として一冊の本にまとめられました。これを読むと、教育は子を持つ親だけの問題ではない、ということを思い知らされます。近年取り沙汰されている教育のあり方から、新型コロナウイルスで揺れる一方の“これから”をどう生きるべきかお話を伺いました。

コロナ禍で浮かび上がった「東京一極集中」問題の深刻さ【平田オリザさん】_img0
 

平田オリザ 1962年、東京生まれ。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。現在、四国学院大学社会学部教授、兵庫県豊岡市に2021年開学予定の国際観光芸術専門職大学(仮称・構想中)学長候補者。2002年度から採用された国語教科書に掲載されている平田のワークショップ方法論により、多くの子どもたちが、教室で演劇を創る体験をしている。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河をこえて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ受賞)、『日本文学盛衰史』(鶴屋南北戯曲賞受賞)、著書に『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』『下り坂をそろそろと下る』(以上、講談社現代新書)など多数。

 


自分とのタイムラグに悩まされる親たち
 

「新学習指導要領の導入」や「大学入試改革」といった大規模な教育改革が行われていますが(※一部は2019年に文部科学省が活用延期・導入見送りを表明)、当事者である教師、親、子供たちはそうした動きについていけずに混乱を抱えていているのが実情です。誰もが子供だったし、学校に通っていたはずなのに、なぜ大人になると教育の進め方や子供のことがわからなくなってしまうのでしょうか。

「まず教育改革が思うように進まないのは、教師、子供、その親といった当事者“だけ”の問題になってしまっているからです。その数は少子化もあって多くなく、選挙の票には結びつかない。だから、動かないというのも特徴としてあります。そして、大人たちが教育に迷うのはタイムラグが生じるからです。男性も女性も一旦会社人間になってしまうと、教育現場の情報が一切入ってこなくなる。そして自分の子供が中学、高校と進学・受験をするようになってから慌てるけど、自分が受けてきた20〜30年前の教育を基準にして考えてしまうので混乱する」

演じることで、相手の状況を理解する力を養う
 

現在の教育は、礼儀作法、慣習、美的感覚といった「身体的文化資本」や、他者とのコミュニケーション能力をはじめとした「非認知スキル」の育成に重きを置く傾向となっています。

参考記事:
「身体的文化資本」という問題>>
子どもの学力を底上げさせる「非認知スキル」とは何か>>


そしてこの「非認知スキル」を育むのには“演劇的手法を使った演劇教育”が有効であるとして、平田さんもご自身がお住まいの兵庫県豊岡市内の小中学校で実施されている同教育に深く関わっています。ですが、その有効性に疑問を抱く人がいまだ多いのが現状だそうです。

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「演劇教育は、この20年でものすごく変わっています。昔は学芸会みたいに、台本があって、それを大きな声で演じるみたいなものでしたけど、現在はコミュニケーションゲームを使って楽しむものへと変わってきている。だけど、いまの親たちは演劇教育を誰も経験したことがないから、説明してもなかなか理解してもらえない。演じさせるということは、嘘つきを増やすことになるのではないかとさえ考えるんです。

私は『演じるのではなくて演じ分ける、演じ分けるというのはさまざまな役割を担うことだ』と説明しています。高校の講演会でこの話をすると、「え、じゃあ嘘をつけってことですか」と言う生徒が本当にいるんです。そういう子には、小さい子供のいる先生に聞いてみなよ、って答えます。その先生は、家に帰ったら絶対に君らと話す時とは言葉遣いが違っているはずだよと。

僕も子供が2歳なので、家ではお父さんとして「はい、おすわり、トン」「はい、どーじょ」とか言っている。それが演じ分ける、つまり役割を担うことなんですよね。家の外でもそんな話し方をしていたら、社会性の欠けた変人ですから。演じ分けることで、自分だけでなく相手の状況、背景、つまりコンテクストを理解する力、思考力や判断力を養っていくんです」

 
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