〈午後5時に〉それだけのメッセージを送り、私はジムを後にした。
 元夫と会う場所はいつも決まっていた。渋谷駅近くにある、喫煙のできる地下の純喫茶。彼はいつもその店を指定してきたし、そこでしか彼には会わないようにしていた。すでに階段あたりから漂う煙草のにおいに辟易としながらも、私は階段を降りる。ドアを開けると、いちばん奥の席に彼がいた。彼が手をあげる。私は視線を逸らす。彼に近づき、手にしていた銀行の白い封筒をテーブルの上に置いた。
「じゃあ」
 そう言うと、彼は、
「コーヒーくらいつきあえよ」と私の腕を掴もうとする。一刻も早くこの場を立ち去りたかったが、一言言っておきたかった。やってきたウエイトレスにブレンドを頼む。彼が私の顔をしげしげと見つめる。視線に遠慮がない。元夫婦とはいえ、その遠慮のなさに私は次第にいらいらし始める。
「おまえ、なんか会うたび、若返ってんなあ。まあ、当たり前か。美容皮膚科の院長先生だから」
 他人におまえ、と呼ばれて腹が立った。私は憮然としたまま、テーブルに置かれたグラスの表面についた水滴を見ていた。美容皮膚科の院長だから儲かっているんだろう、と彼は言いたいのだろう。
 玲を育てたのは俺だ。おまえが何をした。玲が小さかったときだって、おまえは自分の仕事だけに集中できた。それが誰のおかげだと思っている。
 いつか彼とした言い争いの言葉が蘇る。確かに彼の言うとおりだ。玲が生まれたとき、彼にはそれほど仕事がなかった。フリーランスで働く彼の仕事量に波があることなど、共に暮らし始めたときからわかっていたことだった。私は一刻も早く病院に復帰したかった。食事の支度、風呂の準備、寝かしつけ。そうした子育てにまつわる雑務の多くを彼はうまくこなした。それが可能だったのは、その頃の彼にほとんど仕事がなかったからだ。正直に言えば、彼が玲の母親だった。玲が一歳になる前に仕事に復帰できたのは、彼のおかげだ。彼が働けないのなら、今、仕事がないのなら、私が外で稼ぐ。そういうバランスで成り立っている家族なのだ、と理解していた。彼なりに、世のなかから、業界から取り残されていく焦燥感を持っているだろう、とは想像していたが、その頃の私に何より必要だったのは、目の前にある家事、育児をこなしてくれる誰かだった。小学校に入るまでは、それでうまくまわっていた。けれど、子どもが外の世界にふれ合う時間が多くなるたび、彼に暇な時間が増えていった。保育園時代のように送り迎えもいらない。玲は学校を終えたあと、学童クラブに行って一人で帰ってくる。小学四年生にもなれば、夕食さえ用意しておけば一人で食べ、一人で風呂に入り、親の帰りも待たずにさっさと寝ることができるようになっていた。
「仕事が来たんだったらどんどんすればいいよ。もうずいぶん手がかからなくなったんだし」
 無邪気にそう言った私を彼は複雑な表情で見つめていた。
 彼の仕事がまったくゼロになったというわけではない。けれど、彼が子育てに関わっている間に業界も、彼を取り巻く様相も変わっていた。彼の代わりになるようなカメラマンは業界に星の数ほどいた。私や私に対する愚痴が増えてきたのもこの頃のことだった。
「医者はいいよな。一度なってしまえば喰いはぐれることもなくて」
 仕事でボロボロの状態で帰宅したときに、そんなことを言われれば、当然、口論にもなった。彼が喜んで家事や育児をしているものだと私は思い込んでいた。彼だって、うれしそうにそれをこなしていた。けれど、彼はそうは思っていなかった。私が彼に家のことを押しつけた。俺がカメラマンとして仕事をしていく機会を私が奪った、と。そこからかすかに水がしみ出すように、二人の間には亀裂が入り始めた。
「そもそもあなたに才能がないからじゃない。フリーランスなら自分で仕事を探しにいくのが筋じゃないの?」
 言い争いが募り、言いたくもないことを言ってただ一度頬を張られたときには、玲は高学年になっていた。そこから離婚まではあっという間だった。とにかく彼と離れなければ、自分のなかに言いたくもない、考えたくもない、邪気のようなものが忍び込んでくるような気がしていた。離婚をしてやっと縁が切れて肩の荷が降りたと思っていた。玲と彼が会うのはいつでも自由に。そう思って日曜日に玲を彼の元に送り出すこともしばしばあった。