死にたいと感じている時、辛くてどうしようもない時、それは自分の問題だと思っていませんか? 自分が悪い、自分のせいで、こうなった……と。しかし、ちょっと待ってください。実は全く違います。

ただ熱が出ている時と同じです。
熱が出たくらいじゃ止まってくれない、咳が出たくらいじゃ止まってくれない。そんな状態なんです。つまり、体の目的としては、休ませたい、体の動きを止めたい。ちょっとやそっと痛みを与えたくらいでは、あなたは休んでくれないので、体として最大限の方策を取っている。体は自分に対して無駄なことはしません。何かしら意味がある。

 

僕たちの常識のようなものが体と合わないだけで、体は体なりに合理的に動いています。休ませるために、興味・関心を感じる感覚を麻痺させている。体が動く機能を低下させている。希望を感じるところが鈍くなっている。

これは僕の場合ですが、他のことは何も頭に入らないのに、自分のこの死にたいと思う状態をどうにかするための特効薬のような文章がどこかにないものか、本やインターネットの文章をとにかく探すことに関しては、少しもサボりません。どんどん読むんです。しかし――どこにも解決方法はありません。

 

それもそのはず、こうなってしまっていると、自分の症状自体の認識にも歪みが出ているからか、あらゆる細かいことが問題となり、問題でないものも自分の問題となって、調べ方も間違っていれば、受け取り方も間違ってしまいます。もちろん、それも自分の一つの姿ではあるのですが、勝手に自己判断して、なんでも自分が悪いとさらに深く反省してしまうのです。

反省。

これです。とにかく反省してしまっているんです。自分のどこが悪かったのか、性格のこの部分がダメだ、過去の行為を無理やり引っ張り出してきて、この行為が不味かった、今の苦しさと直結しているわけではないのに、そんなことをしていた僕だからこうなって当然なんだと、余計な反省まで増えてしまいます。
死にたくなっている時とは、つまり、何でも反省してしまっている時なのではないかと僕は考えています。

とにかく、反省禁止と唱えてみましょう。

反省には何もいいことがない。もちろん、この「死にたい」時は、ということです。
「反省禁止!」と言われると、少し楽になりませんか?
僕はこの言葉を自分に言い聞かせる時、少しだけ楽になります。死にたい時、反省は酒を飲みすぎるよりも体に悪いです。

これからどうするかじゃなくて、今までのことを振り返ってどうしてこうなったと考えているんです。これも体からの要請なのではないかと僕は思います。未来のことを考えたら体が動いちゃいますから。体が動かないようにする、休ませるということが体の目的ですから。

死にたいというのは、体からの「休みましょう」メッセージなのです。
どうやら僕たちは体からの警告をずいぶん長い間無視してきたようです。それによって体がもう破壊寸前になっている。このままだとダメになる、と危機を感じた体が、決死の覚悟であなたを今のような状態にさせている可能性があります。