今日(この原稿を書いている1月19日)は夫の65歳のお誕生日です。
でもコロナウイルスの感染が増えているポルトガルは、去年の3月末のような厳しいロックダウンにまた突入してしまいました。
リスボンで友達のカップルと4人で食事をして、フォーシーズンに宿泊する、という予定はもちろんキャンセルです。
去年の3月4日から今日まで、9月の1週間のイタリア旅行を除けば、毎日24時間一緒にいます。これまでの私の人生で、一人の人とここまで毎日一緒だったことは、他の家族とですらありません。
ご存知のように、ヤンは3番目の夫です。性格はもちろん、育った環境、これまで暮らしてきた環境もまったく違います。
このソーシャルメディアの時代に、共通の友人すら一人もいないのですから、いかに私たちがかけ離れたところにいたのかがわかります。
初めて会ったのは私が住んでいた北京で。たしか弁護士のハンドルのホームパーティだったと思います。ハンドルは私の友人で、夫の仕事の中国での契約を担当していました。
最初の印象は変な人。自分のことを自慢する、私がもっとも嫌いなタイプです。
ですから、その後メールで「また来月、仕事で北京に行くのでお食事でも」とお誘いのメールをもらっても、返事をしなかったくらいです。
イヤな奴という第一印象、つまりゼロからの評価ですから、あとはいいところがプラスされてきます。「このような人も世の中にいるのか」「そんな風に物事を解釈するのか」と新鮮な発見が続きます。
私がもっと若ければ、彼のような人と一緒にいることは絶対にあり得ませんでした。私自身が変わったことが、一緒にいられる理由であることに間違いありません。
私が最も嫌った自慢屋的なところは、ティーンエイジャーになってからアメリカに移り住んできた韓国の友人の言葉で、見方が変わりました。
「正子、あなたが暮らしてきたような社会では、みんながお互いを、家族まで含めて、それとなく知っていて、知らなかったとしても学校や、住んでいる場所で判断できる。でもアメリカのような色々な国からまったく違う人々が集まった国では、お互いに知らない人同士でも、新たな関係で付き合っていくことが必要なの。相手が自慢しているように聞こえることは、自己紹介での縄張り行為のようなものよ」
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