午前中の再会は三分にも満たず、武臣はすぐさまタクシーで去っていった。
何日もごちゃごちゃと今日のことを考え、理屈をこね回し、あらゆるシーンの対応方法まで練っていたというのに、結局は武臣の電話一本で夢中になって我を忘れてしまった。
大いに反省しつつ、制御できない本能に押し流されていく快感に酔ってもいた。
夕方は一年ぶりのワンピースに着替え、明るい口紅を塗る。既に家着・すっぴんを見せてしまったとはいえ、一番綺麗な私で会いたい。鏡の中の自分を励ますように頷きかける。
背筋を伸ばしてアルマ橋へ。イエナ橋の東隣、少し歩くが散歩にちょうどいい距離だ。
セーヌ川クルーズをする約束で、大型船「バトー・ムッシュ」の乗り場で待ち合わせていた。有名なのにまだ一度も経験していない。あまりに観光っぽく、近所でもあるので、啓介とも散歩で通りながら「帰国前に一度は乗ってみよう」と先送りにしたまま忘れかけていた。
船はコンコルド広場、オルセー美術館、ルーヴル美術館を横目に、尖塔が焼け落ちて今は再建工事中のノートルダム寺院、そしてサン・ルイ島をまわってUターンする。アルマ橋まで戻ってきて更に通りすぎ、エッフェル塔へ。
先ほど武臣ときつく抱き合い、キスをしたシャイヨー宮も見えるだろう……つい数時間前のことなのに、あれは現実だったのだろうかとポオッとしてしまう。
熱い頬を夕風にさらしていると、ちょうどUターンした船が戻ってきたところだった。船の上から地上に手を振る人が必ずいて、いつもなら見ているだけなのに、今日は舞い上がっていて笑顔で手を振り返してしまう。
――えッ⁉
私は咄嗟に背中を向け、しゃがみこんだ。
首を絞められたように息が苦しい。冷や汗が噴き出し、身体を強張らせる。
それでも確かめずにはいられず、もつれる脚で橋の反対側に走った。車がびゅんびゅん通っていようがお構いなし。もう一度、こっそり船を見下ろす。
眼下を行きすぎていく船のオープンデッキに、左手のケ・ブランリー美術館のほうを指さしている男性。その横に、黒い長い髪を風になびかせる若い女性……
啓介、が、女性と――?
胸の動悸が治まらず、呆然と立ち尽くしていた。
まさか。
そんな。
堅実で踏み外さない男だ。
不倫なんてリスクが高すぎるよ、と笑っていた男だ。
そうだ、そうだった、今日は本社から人が来ると言っていた。よく観光案内をするとも言っていたじゃないか。男性幹部が来たときには、皆でムーランルージュで彫刻みたいなおっぱいを拝んできたと報告された。
今夜もきっと若い女性社員の観光案内だ。
女性はワンピースを着ていたけど。私よりミニ丈で、明るい水色の――
「お待たせ……って、どうした? 大丈夫か、顔色悪いぞ」
武臣に声を掛けられて、ようやく我に返る。気付けば私は、濃紺のワンピースの裾を握りしめ、歯を食いしばっていた。
「ごめん、ちょっと気分悪くなっちゃったみたい。船乗るの、一本見送ってもいいかな?」
「もちろん。無理しなくてもいいんだよ」
心配そうな武臣に、ひしとすがりつく。
「いいの、乗りたいから……」
啓介が乗った船、私も乗らなくては。
NEXT:8月22日(日)更新
動揺を隠せない葉子だったが、武臣と船に乗り、デートを続ける。
撮影・文/パリュスあや子
第1回「フランスと日本の不倫の代償」>>
第2回「夫に明るい顔を見せてあげるのも駐在妻の仕事のうち?」>>
第3回「明日の夜も空いてるかな?」>>
第4回「私が浮気してしまうのは、夫のせい」>>
第5回「日本人はキレイ好きで几帳面で真面目?」>>
第6回「なにを着て行こう?久しぶりにヒールを履いて」>>
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