「ワインも開けよう」

マルゴはパスカルが持ってきた赤ワインの栓も抜き、グラスに目一杯どくどくと注いだ。

私は既にビール一缶で酔っ払い気味だったけれど、精進落としだとその杯を受ける。

「祐希のおばあちゃんに」

マルゴの献杯に、味わうこともなく赤い液体を胃に流し込む。

「辛いのはわかるけど、もういい加減に寝なよ」

何も考えず酔っ払いたいだけの私とマルゴに、カンタンの正論なんて届かない。

「先に寝てて」
「……わかった、ほどほどにね。おばあちゃんのこと、本当に残念だよ」

額にキスを残すと、カンタンは寝室に戻っていった。

深夜の大喧嘩。子供が嫌いなわけじゃないのに_img4
 

もう二時近い。自分でも馬鹿をしていると思う。でも、だって――

たまらなくなってテーブルに突っ伏した。

「そんなに帰りたいなら、親がなんと言おうが、帰ればいいじゃない」
当然と言わんばかりのマルゴに、憤然と顔を上げる。

 

「あのね、日本ではフランスみたいに欲望に率直に、我儘を通すなんてこと許されないの」
「あら、そういうの偏見っていうんじゃない?」
「そうだね、ごめん。私はマルゴみたいに好き勝手はできないって言うべきだった」

マルゴがサッと顔色を変えたのがわかったけれど、抑制が効かない。

「パスカルがどんな覚悟で迎えに来たか、わかってんの⁉」
「うるさいな、私たちの問題でしょ!」
「なら自分たちで解決しなよ、うちら迷惑してんだよッ」
「偽善者!」
「自分勝手!」

怒鳴りあいの喧嘩なんて生まれて初めてだった。アドレナリンががんがん出る。

「コナス(ばか女)!」

ドラマや映画でよく聞く罵り。現実世界で初めて聞いた。コンマ数秒で閃いた罵倒の台詞を私も絶叫する。

「サロップ(あばずれ)!」

マルゴは一瞬ポカンとし、盛大に噴き出した。

「祐希が……祐希が『あばずれ』なんて……」

お腹を抱えるマルゴに、完璧に勢いだった私も恥ずかしくておかしくなる。発音も変だったかもしれない。

二人で笑い止むと、マルゴはニヤリとした。

「言ってくれるじゃない。それくらいのほうがいいわよ。少なくともフランスでは、ね」

私も照れ隠しにニヤニヤする。

「外の空気を吸おう」

急にマルゴが立ちあがったので面食らう。

「でも、外出禁止だし……」

「大丈夫、ちょっと近所を歩くくらい。それに今なら皆寝てるって」

もうどうにでもなれという気分だった。外出制限がなくたって、こんな深夜に出歩いたことはない。危なすぎる。正気の沙汰ではない。

でも、今の私たちは二人とも正気じゃない。


パリの街角のリアル
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プラス・デ・フェット(お祭り広場)まで夜の散歩に出かけることにした二人はーー

深夜の大喧嘩。子供が嫌いなわけじゃないのに_img5

<新刊紹介>
『燃える息』

パリュスあや子 ¥1705(税込)

彼は私を、彼女は僕を、止められないーー

傾き続ける世界で、必死に立っている。
なにかに依存するのは、生きている証だ。
――中江有里(女優・作家)

依存しているのか、依存させられているのか。
彼、彼女らは、明日の私たちかもしれない。
――三宅香帆(書評家)

現代人の約七割が、依存症!? 
盗り続けてしまう人、刺激臭が癖になる人、運動せずにはいられない人、鏡をよく見る人、緊張すると掻いてしまう人、スマホを手放せない人ーー抜けられない、やめられない。
人間の衝動を描いた新感覚の六篇。小説現代長編新人賞受賞後第一作!


撮影・文/パリュスあや子


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