「わかること」がたくさんあるから失敗していた
 

以上2つの例から、こういうふうに言えるでしょう。

認知症になると、何もわからなくなるのではない。
わかることもたくさんある。だから問題が起こってしまう。

ホリエさんは「おしっこの仕方」がわかっていました。ヤマモトさんは「セーター」だと認識できていました。でも、認知症の記憶障害のためわからないこともありました。ホリエさんは「排尿していい場所」「ゴミ箱」といったことが、ヤマモトさんは「セー ターの着方」がわからなかったのです。 その「わからないこと」が原因で、行動が不可解なものになってしまったのです。 

 

私たちが普段何気なく、当たり前にしていることは、たいてい、かつて「やったことがある・見たことがある」ことです。つまり、記憶にあってわかるから、スムーズにできるのです。

逆に「記憶にないもの・知らないもの」がいきなり目の前に現れ、それでも何かしなければいけないとき、私たちはどうするでしょうか? とりあえず何かしら自分で判断して、行動する(=環境に適応する)のではないでしょうか。すると、うまくいくこともありますが、失敗することも多々あるでしょう。 認知症の場合、その「環境に適応しようとして失敗した行動」がBPSDと 呼ばれているわけです。 

認知症になると最初は覚えられなくなり、さらに進行すると覚えていたことを忘れるようになります。でも、どの記憶が失われるかは、誰にもわかりません。いくつ記憶をなくすか、本人が選べるわけでもないのです。

ホリエさんは、トイレは失敗しましたが、セーターは着られるかもしれません。ヤマモトさんは、セーターの着方は忘れていましたが、トイレには問題なく行けるかもしれません。 そんなふうに、「わからなくなること」は人それぞれ違うのです。そして、記憶の失われ方によって、症状が変わってきます。

さらに、失語・失認・失行・実行機能障害などのうち、どれか一つが起こるだけの人もいれば、複数起こる人もいます。 この章でははっきり「失認」「失行」とわかる例を取り上げましたが、以上のような理由から、認知症の症状には個人差が出やすいのです。
 

 

著者プロフィール
渡辺哲弘 Tetsuhiro Watanabe

「株式会社きらめき介護塾」代表取締役。1971年、愛知県生まれ。大学卒業後、 障害者施設・高齢者施設などの現場で約20年経験を積んだ後、2013年に「株式会社きらめき介護塾」を、2015年に「一般社団法人きらめき認知症トレーナー協会」を設立。専門職や地域に住む一般の方向けの講演を行うとともに、「職場や 地域で認知症をわかりやすく伝えられる人材の育成」を目的に、独自の講師養成 講座なども実施。日本国内のほか、ハワイや中国にも講演に招かれた実績がある。介護福祉士、社会福祉士、認知症介護指導者(滋賀県)などの資格を保有。 著書に『はじめてでもわかる! 認知症なるほど事例集』(QOLサービス)など。 
 

 

『認知症の人は何を考えているのか? 大切な人の「ほんとうの気持ち」がわかる本』
著者:渡辺哲弘 講談社 1540円(税込)

13万人がその講演を受講した人気講師が教える「認知症の真実」。お風呂に入らない、同じことを何度も聞く、うろうろ歩き回る……認知症になったお年寄りが見せる、こんな不可解な行動は、実は人として当然の気持ちから起きていることでした! 症状に隠されがちな認知症の「人の思い」を読み解く手がかりが見えてくる1冊。実際に介護の問題を解決したケア事例も満載です。


構成/からだとこころ編集チーム

 

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第3回「なぜ、おばあちゃんは便器で皿を洗ったのか…?認知症の人が「困ったこと」をする深いワケ」12月14日公開予定