新卒で入社した大手舞台制作会社を2か月半で……


その後、日本に帰国した私は、鹿賀丈史さん・滝田栄さんら伝説の日本版初演キャストの舞台を見て、ついに全編を理解します。

そして漠然と、「将来この舞台に関われたらいいなあ」と考えます。

その後の人生で、趣味とのちに演劇ライターとして日本で上演されるミュージカルのほとんど、ブロードウェイやウエストエンドにも年に1回通い1000本以上を見ましたが、レミゼが一番多く見た舞台です。おそらく200回近く見たかも。間違いなく、私にとって、演劇ライターとしての原点にして頂点の舞台です。歌詞の研究をしたり、プロデューサーや演出家のプロフィールを徹底的に調べたり。特殊なオタク性が深まっていきました。

 

大学で演劇専攻を選んだのも、当然、いつか演劇関連の仕事をするときに自分の興味や覚悟が少しでも伝わるといいなと考えてのことでした。学生時代には小劇場でアルバイトをして、歌舞伎や能、バレエ、オペラなど違うジャンルの舞台を、学割できるだけ幅広く見ていました。

そして、オタク魂によって新卒で大手舞台制作会社に内定します。しかも、ほかにもいくつかのセクションがあったなか、希望していた製作関連部署。

順調に見えます。ところが会社員として制作に関わるには、私はあまりにもタダのオタク過ぎました。何せ、演劇の知識はそれなりですが、イチ会社員として実際にできることは何にもない。当時は社交性さえありません。そのくせ真面目な小心で、正社員である以上、できないでは済まされないという謎の強い思い込みがありました。

 

ほかのセクションの研修もあり、芸能人のマネージャー業務のようなこともしましたし、当然業界らしい飲み会の日々。今でこそ個性尊重や働き方を選ぶという考え方が台頭し、もう少しやりようがあると思うのですが、20年前に何にもできない新人が芸能関連の会社で「人付き合いや雑務が苦手です」と言えるはずもなく。

相談すれば心構えやコツなど教えてもらえたのかもしれませんが、当時は追い詰められていて、そんなことは考えつきもしません。心身のバランスを崩していきました。

傍から見ると、「念願の業界に入って、たった2か月って、まだ何にも始まってないよね?」という話ですが、社会性ゼロ、事務能力ゼロ、社交性マイナス、生真面目で相談できず鬱になってしまったのです。超世間知らずのミュージカルオタクが芸能界で新卒総合職としてやっていくのは、今でこそ、まあ無茶かもね、とも思います。

心身ともに限界がきて、ついに退職。

何も続かなくて人付き合いもできない自分が、人生を賭けるくらい好きなミュージカルの世界。そこに正攻法でつながる、現実的には唯一と思われる道を、たった2か月でドロップアウト。もう終わった、社会人失格な上に、唯一詳しい世界でも脱落。

22歳の私の人生は暗転。次の仕事を探すとなったとき、演劇に関わるという選択肢は全くありませんでした。黄金の切符を捨てた自分にそんな権利があるはずもないのです。


失意の町田さんが目にした、意外すぎる雑誌とは? 次回は演劇ライターへの山あり谷ありの道のりと、「人生のサイン」の見つけ方を伺います。

町田麻子さんミュージカル&演劇ライター
1980年生まれ、早稲田大学第一文学部演劇・映像専修卒。大手演劇制作会社、出版社などを経て2012年10月、ライターとして独立。数々の大型ミュージカルのオフィシャルパンプレットに寄稿、演劇関連雑誌にて俳優インタビューやレポート記事を執筆。2018年4月より、東京藝術大学音楽学部楽理科に在学中。
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取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
写真提供/町田麻子さん
 


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