どんなきれいな言葉を使っても、死は死だ


「死」とは悲しく恐ろしいもの。そんなネガティブなイメージを薄めるためか、世の中には「死」に置き換わる言葉がたくさん存在しますが、死期が迫ったホール氏はどのように言い換えても「死は死だ」と言い切ります。それくらい冷淡に言い切ることで、死への恐怖から目をそらそうとしたのかもしれません。

「もうすぐわたしは死ぬ。そう思い定めるだけの分別は持っているつもりだ。眠りにつくのではない。死亡欄や記事や訃報やEメールのなかでは、日々、何百万というひとが“永眠”する。誰も“死ぬ”とは書かない。安らかに眠る、世を去る、骨になる、旅立つ、往生する、息をひきとる、みまかる、神に召される、あの世へ行く、看取られる、主のみもとに帰る、没する、逝去する、他界する、などと言う。どんなきれいな言葉を使っても、死は死だ」

 

サンドイッチを食べながらぽっくり逝きたい


やはり、ホール氏にとって死は恐れの対象だったようです。しかし、それは得体の知れないものへの畏怖というよりも、家族や友人など近しい者の死を目の当たりにしすぎたゆえに生まれた感情でした。

 

「精子と卵子が出あった瞬間から、われわれは死に向かっている(妊娠中絶反対派はこれを論拠としている)。この年齢になれば、死というものについて、ときに思いをやることはあれ、さほどには頓着しないようになる。それでもやはり死ぬのはいやだ。文章を書きながら、あるいはサンドイッチを食べながらぽっくり逝ったらどんなにいいかと思うが、わたしのまわりにそのような幸運な者はいない」