きちんと取捨選択し、他人に強要しないこともマナー

不安や分断を煽る「育ちのいい人」という言葉。ある本に感じた「マナーで人を選別する」ことの危うさ_img0
 

大学生当時は「そうか、自分の下着は恥ずかしいんだ」と思ったのですが、いろいろな人の意見を聞いてみると、「どんな下着でも関係ない」という人も案外少なくないことがわかりました。

 


冒頭で紹介したショートケーキのイチゴはいつ食べるか、会社の休み時間に会社用のサンダルでランチに行っていいのか問題は、「こんなことで育ちを判断されてしまうの!?」と感じた最たる事例でしたが、いくら正しいとされるマナーでも、自分で納得できるように取捨選択すること。さらには他人にその感覚をあてはめたり、強要したりしないこと。それこそが大事なのかもしれません。

そしてもうひとつ思うのは、マナーとはあくまで他者を思いやる気持ちであり、その目的が自分をよく見せたい、という風に自分にベクトルが向いてしまった瞬間、全く別のものになってしまうのではないかということです。

ドラマ『やんごとなき一族』に登場する上流階級の人々は、迷いなくガンガン人を「育ち」で判断するキャラクターとして描かれていますが、本当の意味で育ちのいい人はそもそも他人を育ちで判断しない、と信じたいものです。
 

文/ヒオカ
構成/金澤英恵
 

 

不安や分断を煽る「育ちのいい人」という言葉。ある本に感じた「マナーで人を選別する」ことの危うさ_img1
 

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