性経験の有無は、人からバカされることじゃない


また、恋愛経験が豊富なほうがよい、処女、童貞はダサい。こういった価値観が、令和のドラマで無批判に展開されることに、強い違和感を持ちました。現実の世界では、こういった価値観はすでに時代遅れという認識が広まりつつあると思っていたからです。

 

純自身も、柊磨とまだ完全に恋人になる前、「女として最低限のことを経験しておきたいだけ」、と言うシーンがありました。純が周囲にそそのかされ、好きでもない同郷の男友達と関係を持って処女を捨てようとするシーンがあります。実際は未遂に終わるのですが、この「とりあえず誰とでもいいから処女を捨てたほうがいい」という価値観も、正直、平成に置いてきて欲しかった……と思いました。筆者も学生の時、「女は賞味期限短いし、若いうちにたくさん恋愛しなきゃ」「誰でもいいから処女を捨てなきゃ」と言っている友達がいました。

 

「高齢処女」という言葉は、エイジズムと恋愛至上主義を悪魔合体させたような、最低な言葉だなと思います。本心から願うことならいいのですが、「世間の目」「周囲のプレッシャー」や、「一種の強迫観念」から無理に関係を持たないといけない、と思うのはおかしなことだと思います。ましてや、処女や童貞をバカにしたり、人として半人前のように言って「早く捨てろ」なんて圧をかけるのは、立派なハラスメントです。

 

そしてもうひとつ気になったのが、性的な経験のことを、「不特定多数の人がいるところ」で、かつ「大声」で聞いたり、茶化したりしたこと(冒頭で触れた、「高齢処女」と茶化すシーン)。他人の性的なプライベートを聞くことは、職場などですれば当然セクハラです。いくら気心知れた友人同士でも、自分のセクシュアリティを包み隠さず話しているとは限りません。外野に聞こえるところで他人の性的なことを暴露するのは、一種のアウティングともとれる行為。非常に問題に感じました。

他人の性的なことを他の人が聞えるところで話してしまうこと。これが問題であることは、時代とともに世間でもだいぶ認知されるようになってきたと思います。しかし、それでもまったく変わらないなと感じるのが、芸能人の性的なプライベートがゴシップとして出回り、それをたくさんの人が消費していることです。