SNS、YouTubeなど、最近は一般の人が発信し、知名度を上げることが増えてきました。それに伴い、「自分も“何者か”にならなくてはいけない」という不安を抱えている人が少なからずいます。
今回のコラムでいう“何者か”は、「(実力はさておき)世間から賞賛される人」のことを指します(「職人的に1つのことに没頭し、成果を出そうと奮闘している人」のことではありません)。
そんな“何者か”になることを目指す人が見失いがちな「大切なこと」があります。それは何でしょうか?
なぜ、“何者か”にならなくてはいけないのか?
そもそも私たちは、“何者か”にならなくてはいけないのでしょうか?
そんなことはありません。不特定多数の人に存在を知られ、賞賛されるようになったら、必ずしも幸せになれる、というわけでもないですしね。
たとえば、顔出しして、SNS、YouTubeで発信するようになれば、その分、リスクが伴います。
自分のことを知っている人が増えるほど、人から見られるようになるので(場合によっては、監視されることもあるので)、自由を失うこともあります。場合によっては、ストーカー被害や、見ず知らずの人にやっかみから足をひっぱられてしまうこともあるでしょう。
さらに、自分の発言が注目されるようになってくると、発言によっては、自分の周りにいる家族や友達、仕事関係者などにも迷惑をかけてしまう可能性が出てきます。そうすると、自分らしく自由に発言するのが難しくなってしまうこともあるでしょう。
何かを得たら、何かを失うことは多いもの。また、何かを得たければ、何かを諦めなくてはいけないことも出てきます。
でも、その現実を理解し、覚悟をした上で“何者か”になりたいと思っている人は、稀です。ただただ表面的な部分を見て、「羨ましい。私も賞賛されたい(注目されたい)」と思って、目指していることが多いのです。
そういう人ほど危険です。リスクを考えずに動いている分、思いのほか、大切なものを失ってしまうことがあるからです。
「顔出しして表現すること」で失うこと
私自身はまだ“何者か”になっているわけではありませんが、顔出しして、コラムニストとして活動していることで、得られていることもあれば、失っていることもあります。
私は極力、「自分が信じていることをきちんと発信していこう」と思っているので、それが難しくなるような環境との両立は難しいところがあります。
たとえば、仮に私が “人からの評価が大切な職業の人(もしくは、人からの評価を大事にしている人)”と結婚したら、自由に発言できなくなる可能性は出てきます。
もしパートナーが、周りの人から私の発言をとがめられ、肩身が狭くなってしまうと、私自身も「仕事をとるか、家庭をとるか」の事態になってしまうでしょう。
人それぞれに人生において大事なものは違います。だから、私自身は今の仕事をしていて幸せですが、他の人が同じことをしても幸せだと思うのかどうかは微妙です。
つまり、何かを得ようとするときは、それに伴い「失うもの(諦めたほうがいいもの)は何か」を理解することはもちろんのこと、「自分にとって一番大切なものは何か?」を理解しておいたほうがいいのです。
実は、“何者か”になることを目指そうとする人には、ある傾向があります。それがあるから、むしろ“何者か”になれないこともあるでしょう。それについては次のページで紹介します。
【漫画】何者でもない私の「存在意義」
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