今回の事件で理解しにくいのが、逮捕前に歴彦氏が見せた、すべてが他人事のような、あまりにも当事者意識に欠けた振る舞いです。
歴彦氏は同社に対する捜査が本格化した9月初旬、報道各社の取材に応じているのですが、7000万円近い大金を元理事に渡したことや、スポンサー選定について依頼した事実については、すべて認めていました。それにもかかわらず、捜査が進んでいることに対しては「本当にこの思いがけない感じでね。戸惑ってることばかりなんですよ」とまるで他人事のよう反応でした。
賄賂についての認識を問われると「全くありません」と何度も繰り返し、さらには「僕はそんなに心が卑しくね、今まで50年も経営したことないんですよ」「一緒にしないで」とまくしたて、捜査対象となっている幹部社員についても「社員を信じますよ」という言い方で、自分とは無関係であることをしきりに強調していました。
当然ですが、逮捕されている元理事はみなし公務員に該当します。公務員に対して職務権限にかかわる依頼を行い、帳簿上の名目が何であれ、常識外の大金を支払った以上、普通に考えれば、贈賄の構成要件を満たします。依頼を行ったことと、お金を渡したことを自ら認めているわけですから、半分は贈賄について自白しているようなものです。ここまでストレートな行為を行っておいて、記者の質問に対するもっとも強い反論が、犯罪についての認否ではなく、「自分は賄賂を渡すような卑しい人間ではない」という、自身の人間性に関することでした。
しかしながら、歴彦氏のような著しく当事者意識に欠けた振る舞いというのは、日本の至る所で観察されます。
旧統一教会問題でも同じことが言えるのですが、関係を指摘された議員の中には、まるで他人のことについて説明するかのような口調の人が少なくありません。当事者意識の欠落は、身近なビジネスの現場においても散見されます。自身のミスについて指摘された際に「そういうことになりますね」など、第三者的な受け答えをする人が、皆さんの周囲にいないでしょうか。
当事者意識の欠落は、確実に仕事の質を落としますし、こうした雰囲気が社会全体に広がっているのだとすると、個人レベルの問題では済まなくなります。あまりにもテーマが壮大すぎるので断定は避けますが、こうした風潮は、近年、進んでいる日本の国力低下とも密接に関係しているかもしれません。
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