こういったいくつもの出来事を経て、野沢さんは老いの先にある“死”を、急に自分ゴトとしてリアルに感じ始めます。そして、具体的な準備を始めることに……。

野沢:昔は「私はどう死ぬんだろう?」なんてことは考えたこともありませんでした。「迷惑かけないように死にたいよね~」とか言っていた程度。でも父の姿を見て、どうしたって迷惑はかけるもんだ、人は人の手を借りないと死ねないんだ、と感じた。だからある程度どうしてほしいか伝えておくことは大事だと思いました。

父を見ていて一番衝撃だったのが、シモの世話だったんです。2、3週間という期間でしたけど、父は自分でトイレに行けなくなって、そのときの彼女がオムツを取り替えたり洗ったりしていたんですね。でも彼女もそれなりに高齢なので、大変そうで。洗濯物がお風呂場に溜まっているのとかを目の当たりにして、「うわぁ……」と思ってしまった。これを自分の子供にさせるかもしれないと考えたら、それだけは嫌だ! と強く思ったんですよね。自分もみじめだし、子供だって嫌だろうし。

 

だから準備として、まずは足腰を鍛えようと思いました。20年前から毎日20分ほど歩いていて、10年前に保護犬を引き取ってからは、さらに犬の散歩もやっています。この歩くことは地味に効いている気がして。更年期障害に悩まされなかったのもそのおかげなんじゃないかと思っています。それでもどうにも動けなくなったときは、「施設に入れて」とフワっと伝えています。子供たちはまだピンと来ていないので笑って流していますけど、フワっとでも事前にちゃんと言っておけば、万が一突然父のようなことになっても、子供たちにあれこれ考えさせなくてすむし、施設に入れる罪悪感も覚えないと思うんですよね。

 


とはいえ、ただ死ぬ準備を整えて待つ、というのは誰しも望むところではないはず。100年時代と言われる今、長い老後は可能な限り楽しく充実感を持って過ごしたいものです。

野沢:私が信じているのは、気力は肉体に反映する、ということで。何の目的もなく漫然と過ごすのではなく、「こうなりたい」とか「こうありたい」とかいったモチベーションがあったほうが、病気とも縁遠くいられるかな、と思うんです。

だから私には目標があって。それは「面白いおばあちゃん」になること。で、SNSでブレイクしていたり、映画やドラマで面白いおばあちゃんの役をやっていたり、何らか当たっていればいいなあと思っています。そういう目標があると、世の中の空気にアンテナを張っているだろうし、新しいテクノロジーにも対応できる状態でいると思うんですよ。ただ死ぬのを待つよりも、何かひと達成して死にたいもんですね。