父と体当たりで対峙していた姉
一方で、より早く父の「等身大のしょうもなさ」に気づき、単身赴任などによる父の不在を自由ではなく「問題」と感じ、さらに子育てに不在な夫に悩む母の気持ちも受け止めることで「我が家は機能不全だ」と感じながら育った姉。そんな姉には、離婚を機に実家近くに戻ってきた30代中盤、父と徹底的な対峙を試みた時期があったのだという。
それは父の、姉にとって許せない行動や許せない発言に対して、怒りをあらわにするという、僕には決してできなかったアクションだった。
「それは娘のためだったかもしれない。小さなあの子がいるところで、おとんが例のごとく大声を出したことがあったの。親が離婚をして家族がバラバラになって、苦しみ抜いているはずのあの子がいる食卓で大声を出すなんて。許せなかった。この子をこれ以上、怯えさせないでって思って、気がついたら反射的に『この子の前で二度と大声を出さないで!』と怒鳴り返していた。おとん、それからつい大声をあげてしまうと、すぐに『ゴメンゴメン』と謝るようになったの。そしてすぐに怒鳴らない人になってくれたよ」
父は感情のコントロールが苦手で、何か議論が膠着すると大声を出し、両の拳でテーブルを叩いて「その話は終わりだ!」としてしまうところがあったが、それは姉にとっては拳を伴わない暴力であり、猛烈な圧だった。そんな父の威圧にさらなる大声で対抗した姉は、まさに捨て身の境地だったのだろう。
「普通の当たり前の、力の抜けた関係の家族の中に、娘を置いておいてあげたかった。そんなふうに関係を変えていくことは、一生をかけるに値する親としての私の仕事だと思った」
家族に対しては何を教えるにしても常に教え下手で上から目線で、「こんなことだってできるんだ」という自身の能力の披露に終始しがちな父が、引退後に地域のパソコン教室などでものすごく教え上手な講師として評価されていることを知った姉は、苦手だったExcelの使い方について指導を願ったことがあるという。
案の定、姉の手からマウスを奪って操作しようとする父に、「そんなことは頼んでない。自分でキーボードを打たないで。私に打たせて、そうしないと憶えられない」。
半年以上にわたって何度も教えを請い、食い下がりまくった結果、父はある日、ビックリするほどわかりやすい指導をしてくれて、姉のわからなかったことはその日にすべて解決したのだとか。
「おとんと向き合い始めてからも、おとんと一緒にいると身体にグッと力が入ってこわばって、すごく苦しかったよ。身体が反応して首とか背中とかがガチガチになる。瞬間的にグッとなって、それが会ってる間中、続く。すごく身構えるんだと思う。身体が反応してこわばるから気持ちも同じでキツかった。何も話さなくても一緒にいるだけで。それが、すごくつらかった。それは、何年も続いた。長かった。いつの間にか、おとんといても身体にグッと力が入らなくなったことに気がついた。すごく時間がかかったなーって思ったことを、覚えてるよ」
父の存在を無視し、対峙も試みず好き放題やってきた僕と、姉弟でどうしてここまで違うのかとも思うが、そうしたアクションを起こしただけ、姉の父親像は僕のそれよりも遥かに明瞭だ。
体当たりで父と対峙した姉の総評によれば、父は「ことに家族関係においてのみ、何か良いことを言わないとと思って身構えてしまう人。そして、どうすればいいのかわからなくなって固まってしまう人」ということになるらしい。
それは、僕が父に対して持っていた「社会人として完成されていて頭脳明晰で、堂々として様々なトラブルにも対応できるハイスペックな成人男子の代表」という評価とは驚くほど対極だが、非常に腑に落ちるものでもあった。家の外ではあんなにもコミュニケーション力が高いのに、家の中では全く自然体ではいられない男。それが父だった。
僕が「極めてハイスペック」と誤認していた父は「対外的な父」であり、姉が正視し続けていたのは家庭内でまともなコミュニケーション一つ取れない「しょーもない父」だったと言ってもいい。
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(講談社現代新書)
鈴木大介:著
ヘイトスラングを口にする父、テレビの報道番組に毒づき続ける父、右傾したYouTubeチャンネルを垂れ流す父……老いて右傾化した父と、子どもたちの分断「現代の家族病」に融和の道はあるか? ルポライターの長男が挑んだ、家族再生の道程!
構成/露木桃子
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