心にぽっかり空いた穴のような喪失感を抱えている時、人は何で埋めようとするのでしょうか? ささいなことであれば、ドカ食いややけ酒、爆買いなどで気が紛れることもありますが、過去のトラウマをずっと抱えていて、その状態から抜け出せない時、人は自分で蓋をしてしまって穴が空いていること自体を忘れようとすることもあるようです。月刊エレガンスイブで連載中の『やも男と女形』(秋田書店)は、それぞれ心に異なる“穴”を抱えた男ふたりの物語。彼らはどうして心に穴が空いてしまい、どうやって失ったものを取り戻していくのでしょうか。

『やも男と女形』(1) (秋田レディースコミックスDX)


「岡崎情話」って知ってる? と話しかける謎の“美少女” の正体は?


この物語の主人公は男性ふたり。一人は喫茶店「浮草」を切り盛りする、伊丹幸一という中年男性。自分の店を持ち、作った料理を美味しそうに食べてくれる人がいる。そんなことにこの上ない喜びを感じていました。

 

もうひとりの主人公は、大衆演劇の女形役者・喜多川艶之助(きたがわえんのすけ)。父で一座の座長でもある人気役者・艶丸から厳しく育てられ、幼少期から芸の道を邁進しています。15歳でありながら得も言われぬ色気をまとい、大衆演劇の枠を飛び出し、映画やCM出演など、活躍の場を広げています。でも、年相応の自由はどこにもありません。

 

ある日、出演を終えた艶之助はスカジャンにロングスカート姿で、帽子を目深に被って楽屋をこっそり抜け出します。艶之助の目に留まったのは、公園で池を眺めながら魚肉ソーセージをかじる幸一でした。彼に上目遣いで声をかける艶之助。幸一はあまりのかわいらしさに驚くものの、逆ナン? と動揺します。

 

艶之助は、「『岡崎情話(おかざきじょうわ)』って話知ってる?」と話を続けます。これは大衆演劇の演目のひとつで、ヤクザの旅人・徳松が主人公。ある日、旅館の前を通りかかったところ、そこの主人が「娘を孕ませたのはお前だ!」と身に覚えのない言いがかりをつけられて赤ん坊を押し付けられます。徳松は赤ん坊を見捨てることができず、ヤクザな生き方を捨てて一生懸命働き、必死になって子どもを育てることに。子どもは徳松を実の父親として慕い、徳松もまた、子がいることで生きがいを見出すようになります。

 

ある日、徳松と子どものもとに、旅館の主人と娘、本当の父親が姿を現します。旅館の主人は徳松を父親だと決めつけていたのは、実は人違いで、その子どもを旅館の跡取りにしたいから返してくれ、と言ってきたのです。「何を今更」と一旦は拒む徳松でしたが、子どもの将来を思い、子を手放す苦渋の決断をします。

これがお芝居であれば泣き所で大いに盛り上がるところですが、実際にそのようなことを言われたら、徳松のように子を手放すことができるものでしょうか? ここまで語った艶之助は、「アタシ、納得いかないんだよね」と。そして、幸一の手を握り、親とうまく行っていないから「パパ活でもしようかと思ってんだよねぇ……」と、誘うような眼差しを幸一に向けます。

 


客のいない喫茶店で食べる、オムライスの味。


幸一は艶之助の手をぐっと握り返し、「じゃあ…行こうか」と立ち上がります。でも、彼が引っ張っていった先は自分の店。艶之助は思わず、「俺ぁ テメェと茶ぁしばくために誘ったんじゃねぇぞ!!」と地を出してわめきます。実は幸一には艶之助が男であることはお見通しで、人気女形の色仕掛けが全く効いていなかったのです。幸一は艶之助を店に招き入れ、「腹へってない?」と、オムライスを作り始めます。

客のいない店で黙々とオムライスを作る幸一は、3年前に妻子を交通事故で失っていました。かつては明るい妻と営んでいたこの店も、接客が苦手な幸一ひとりになってからは客足が遠のくようになり、店をたたむことを考えていたのです。

 

差し出されたオムライスを口に入れた艶之助は、思わず「んま…」と声を漏らしますが、「おそらくこれがお客さんに出す最後の料理だと思う」と幸一。3年前、5年しか生きられずにこの世を去った娘には、「岡崎情話」の徳松のように惜しみない愛情を注げなかったことを後悔し、それを今も引きずり続けていたのです。

そんな独白を聞いた艶之助は、幸一の作った料理を食べていた娘は幸一の愛情を5年分食べていたわけなのだから、「それってサイコーじゃん!」と笑顔を浮かべます。その一言に、ハッとさせられる幸一。

しかし、なぜ艶之助は楽屋を飛び出し、見知らぬ男に「パパ活」を持ちかけたのでしょうか? 我に返った幸一は、「一体誰なんだ!?」と艶之助を問い詰めます。艶之助が見せたのは、人気沸騰中の大衆演劇天才女形役者の喜多川艶之助が、急な体調不良で舞台公演をキャンセルした、というネットニュース。

 

艶之助はとても元気そうで、体調不良には見えません。そして、「住み込みで働かせてくれねぇかな?」と持ちかけます。幸一はまさに、「岡崎情話」で旅館の主人に無理やり赤ん坊を押し付けられる徳松状態。どうする幸一!?
 

男やもめと女形の奇妙な共同生活。


艶之助は、店をたたむといっても今すぐじゃないだろうし、オムライスを作ってくれた恩返しとして、店を手伝う! と申し出ます。幸一は艶之助の圧に負けて、彼を受け入れることに。実は艶之助はまだ15歳ということが幸一にバレてしまいますが、そこは人気役者である艶之助が何枚も上手で、父の了承済とかわします。

こんな感じで二人の奇妙な共同生活が始まるのですが、妻子を失い、人生の幕はもう降りてしまったも同然だった幸一は、艶之助に巻き込まれるような形で否応なく“第二幕”があがることに。一方の艶之助も、父に厳しく稽古をつけられて客の前に立ち続け、親の愛情を感じることも、子どもらしい振る舞いをすることもないまま今に至ってしまっただけに、自分が得たくても得られなかった何かを探し求めているようです。

そんな凸凹な二人をつなぎ、ぽっかりとあいた穴をやさしく埋めてくれるのが、手料理の数々。幸一は艶之助に料理を作ることで、艶之助は幸一の料理を食べることでささやかな幸せを感じ、少しずつ前に進んでいこうとします。本作では、その過程を丁寧に描いているのです。大衆演劇の演目のように波乱万丈で破天荒、でも、人情味にあふれてほろりと泣けるこの物語は幕が上がったばかり。さあさあ、お立ち会いあれ!

 

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『やも男と女形』
会田薫 秋田書店

「おれたちは 向かい合って食べよう
ゆっくりでいいから 取り戻していこう」
妻子を亡くした喫茶店マスターの伊丹幸一は、家出中の女形役者・喜多川艶之助に出会う。艶之助の熱意に負け、凸凹な二人暮らしが始まって……? 心にぽっかり、あいた穴。
やさしく埋めてくれるのはごはんと、同居人。新しい人生が始まるバディ・コメディ!!