モノクロ映画だからこそ、カラーでは見落としてしまうものが見えた


映画は日本映画には珍しいモノクロ作品。製作過程も独特だったようです。

寛一郎:最初に撮影したのは3年前なんですが、その時は短編で、そこからお金を集めて長編にするという段取りだと聞いて、なるほどなと。

 

池松:段取りや、資金集めに関しても、この国の映画の作り方の根本から見直している作品だと思います。

寛一郎:壮亮さんが参加したのは、最初の短編を撮ってから半年後で、そこから撮影して、さらに1年半後に全部つなぎ合わせて1本の長編にしたという感じでした。

 

池松:この企画に惹かれる要素はたくさんありましたが、モノクロ映画だったこともそのひとつでした。モノクロ映画は最近は国際的にはトレンドになっていて、年に何本かは必ずモノクロの傑作がありますよ。映画技法として多用されています。でも日本だと企画としてまったく通らない。いつか現代のモノクロ映画をやりたいと思い続けてきたので今回夢が叶いました。僕はモノクロ映画が大好きなんですが、「やっぱりすばらしい」と確信しました。「モノクロ映画だった」という後味になってない。モノクロなのにむしろカラーよりも鮮やかな感覚が残っていて、普段カラーでは見落としてしまうものが見えました。

寛一郎:ラストの雪のシーンはモノクロだからこその、これ以上ない「雪映え」の映像でしたね。最初の短編の頃、3年前の冬に撮ったんですけど、めちゃくちゃ寒くて印象に残ってます。

池松:どのシーンも好きですが、印象に残っているのは参加して最初に撮ったシーン。「汚穢」を運ぶ船が川を行く、その船の上で僕が講談をはじめるところから始まる一連の場面、空と人間と水しかない、時間が流れるなんでもないシーンだけど、物凄く美しくて、絵画のようで、とても詩的なシーンでした。