“では、いっそ、aとa'の本音コミュニケーションだけにしたほうが気持ちがいいではないかと思われる人もいらっしゃるかもしれません。しかし、そうなると、『牡丹と薔薇』やWeb漫画の悪女転生もののようなことが実際に起こってしまうことになります。それでは私たちの生活は万人が万人の敵のようになってしまい暮らしていけなくなってしまいます。”
 


定型発達(健常発達)者として生きることは「建て前でいいことを言って本音でバトルするという病理を抱え込むようになることなのだ」と筆者は言います。

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もう一つの問題は、「いいね」への飢餓感

“もう一つより大きな問題が健常発達の人同士の関係には生じます。健常発達の人同士の交流においては、基本的にはお互いがお互いの「いいね」を求めあうことが関係の基本の一つになります(なんちゃってシェーマLではaとa'の関係)。「いいね」を平和に言い合う分には一見『牡丹と薔薇』のような錯綜した関係に必ずしもならなくてもよいようにも思えます。しかし興味深いことに、この「いいね」は多くの場合には競合的なのです。たとえば素敵な服を着てインスタ映えのする画像をアップしたとすると、同じようなインスタをアップした人とは「いいね」の数を競うことになります。

そこには自分への「いいね」が足りないという、汲めども尽きないような飢餓感があります。そしてじゅうぶんにこの飢餓感を満たしてくれない相手を不当だと感じ(おそらくはほとんどの場合は半ば無意識的なのでしょうが)、ある種の当然の負債の回収として、いじわる心がそれもまた汲めども尽きぬかたちで湧き上がってくる。なんちゃってシェーマLに書き込んだ目の印のことも少し記憶にとどめておいてください。ほんとうのあなたやほんとうの私に、私たちの「いいね」は届くわけではなくて、いつもaとa'の関係しか私たちの目には見えないということを、ここに書き込んだ目は示しています。”

 


ここまで伝えてきた「いじコミ」や「ありがとう」の掟、「いいね」への飢餓感とは、対人希求性が過剰になった定型発達(健常発達)の人ならではの「病」といえるのではないでしょうか。筆者は、「自分は普通」だと思っている定型発達(健常発達)の人に向けて、こう伝えます。

“病とは何かということを考え、それが苦しみであるとするなら、ADHD的であることが必ずしも苦しいことであるわけでもなければ、健常発達的であることがより苦しみから遠いわけでもないことは明らかです。”
 
 


本書では、定型発達(健常発達)の人が抱えるしんどさとそこから解放されるためのコツについて、デカルトやハイデガーなどの哲学論や事例を交えつつ語られています。哲学書がお好きな方には特におすすめの一冊です。

『普通という異常 健常発達という病』
著者:兼本 浩祐(かねもと・こうすけ)講談社現代新書 1100円(税込)

ADHDやASDが「病」なら、定型発達の特性を持つ人も、負けず劣らず「病」なのではないか。と問題提起する本書。「自分がどうしたいか」よりも「他人がどう見ているか気になって仕方がない」という対人希求性、「いじわるコミュニケーション」という承認欲求など、極端な「普通」がもたらす「しんどさ」から抜け出すためのヒント。
 


著者プロフィール
兼本 浩祐(かねもと・こうすけ)さん

1957年生まれ。京都大学医学部卒業。現在、愛知医科大学医学部精神科学講座教授。専門は精神病理学、神経心理学、臨床てんかん学。


構成/大槻由実子