「果たしてそれはウィーン・フィルだろうか」

©︎ Lois Lammerhuber

「誰かが、どこかのオーケストラが海外ツアーを始めなければ、世界の音楽が止まってしまう」。渋谷さんは楽団長フロシャウアーさんの思いを紹介しながらも、当時の入国規制の緩和に伴う、国内の否定的な反応も振り返ります。「同時期にはウィーン・フィルだけでなく、一部のスポーツ選手が日本での合宿や予備試合のために入国を始めており、海外在住の日本人のプライベートな帰国さえも叶わない状況下で、オリンピックありきの入国対応への不満が渦巻いていた」。

 

そんな状況を理解していたからこそ、ウィーン・フィルは記者会見でも丁寧に謝辞を述べ、舞台上では奏者たちがいつも以上に集中力をもって演奏したといいます。満席となった来日公演を全て鑑賞した渋谷さんは、「どの演奏も常には感じない迫力があり、奏者の喜びに溢れていた。ステージ上でしか自由を与えられない不健康さを解消しようとする、ある種の鬱憤晴らしのような元気さも見えた」とその様子を記します。

オンライン配信でもなく無観客公演もでない。さらにソーシャルディスタンスを保つことや、少人数の室内楽で音を奏でることでもない――。ベルリン・フィルが実現した無観客、少人数、ソーシャルディスタンスを保った素晴らしい演奏音源を例に挙げ、渋谷さんがウィーン・フィルの楽団長フロシャウアーさんに「あなたたちも同じことを検討しないのか?」と尋ねたところ、こんな返答が返ってきたといいます。「ステージ上に数人しかいなかったら、果たしてそれはウィーン・フィルだろうか」と。

ウィーン・フィルの本拠地である楽友協会のステージは、ベルリン・フィルのフィルハーモニーホールよりかなり狭い。それを考えると、カルテットなどの少人数の演奏ならば、そこで演奏を行ない、録音をすることは可能なはずだ。しかし彼らはそれを選択しなかった。室内楽などの小さな演奏会も考えていない、という方針である。ウィーン・フィルとして演奏するのであれば、設立以来守ってきた演奏形態、すなわちソーシャルディスタンスなどをとらず、マスクなどもつけず、これまでどおりのスタイルしかないという選択である。そうでなければ演奏しない、という明確な意思表示だった。
――『ウィーン・フィルの哲学〜至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか』より