その部屋に一歩足を踏み入れると、一瞬、19世紀のヨーロッパにタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。フジコさんの母が、1960年代に青年座から譲り受けた下北沢にある洋館は、1947年に建てられたものだという。母の生前は、とある劇団に稽古場として貸し出していた3階の部屋が、今は、フジコさんのピアノのレッスン場兼サロンになっている。部屋の真ん中には、グランドピアノが2台。その周りで、猫たちがのびのびとあくびをしたり、歩き回ったり、毛繕いをしたり。アンティークな味わいのある家具のほとんどは、ドイツに住んでいた頃から使っていたもので、壁にかけられた絵や写真、カーテンの一枚一枚にも、フジコさんらしい「出会い」のストーリーがある。
フジコ・ヘミングさん
日本人ピアニストの母とロシア系スウェーデン人画家・建築家の父を両親としてベルリンに生まれる。5歳で帰国し、青山学院高等部在学中にコンサート・デビューを果たす。東京芸術大学を経て、ドイツに留学。ウィーンでの演奏会の直前に風邪が原因で両耳の聴力を失う(その後左耳が半分ほど回復)。1995年に帰国。1999年にNHKより制作・放送されたETV特集「フジ子~ピアニストの軌跡」をきっかけに一躍時の人となり、デビューCD「奇蹟のカンパネラ」は200万枚を超える大ヒットとなる。現在は世界各地でリサイタルを行う傍ら、米国同時多発テロの被災者、アフガン難民、動物愛護団体などを支援している。
聴覚を失ったヨーロッパ時代から、猫は変わらぬパートナー
「今、下北沢の家にいる猫は9匹。みんな捨て猫で人間不信だから、触ることもできないけれど、みんなそれぞれに可愛い。最初に猫と暮らし始めたのは、私が聴覚のほとんどを失っていた時期です。当時は猫だけが私の演奏を聴いてくれていて、私がピアノを閉じて、泣き伏すようにしていると、猫が目の前にやってきて、ポンと頭を撫でてくれた。『猫が臭い!』なんて言って、当時住んでいたアパートの大家に裁判を起こされたときは『ドイツ人が捨てた猫を私が引き取って何が悪い!』と反論すると、裁判官が私の味方になってくれて、無事に裁判に勝てたこともあります。昔はお金の心配ばかりしていたけど、今はこうして身寄りのない動物や、世界中の困っている人に寄付したりできる。猫というのは、やっぱり“招き猫”なんだと思います。ドイツの偉人アルベルト・シュバイツァーは、『人生の艱難辛苦から逃れる道はふたつある。音楽と猫だ』という言葉を遺していますが、まさにその通り!」
フジコさんの曽祖父は戦前、動物病院の院長だった。その血を継いだせいだろうか。フジコさんの生き物に対する愛情は人一倍だ。生き物であれば、それがゴキブリであっても、慈しみを感じるという。
「みんなゴキブリのことは嫌うけど、私はセミみたいで可愛いなって思う。家でゴキブリを見かけたときは、わざわざ餌をやって、子守唄を歌ったこともあります(笑)。ベジタリアンになったのは、
1970年代のパリは、街中が驚くほどおしゃれでした
日本でピアニストとして成功した後、フジコさんはパリと京都、そしてサンタモニカに家を買った。パリはドイツに住んでいた頃からの憧れの街。そこでは猫の他に犬も飼い、犬の散歩の途中にカフェに立ち寄って道ゆく人を眺めるのが、フジコさんがパリで過ごす至福のひとときになった。
「犬の散歩も、お金がないときにはできなかったことの一つ。犬を連れてパリを歩いていると、動物好きな人が寄ってきて『可愛い犬! 何歳?』などと言って、すぐ友達になれる。でも、私がドイツに住んでいた1970年代に訪れたパリと今のパリでは、残念ながら人々のおしゃれ度は全然違います。1970年代のパリの週末は、ベルギーやオランダ、ドイツからも、ファッション大好きな人たちが集まってきたから、街中が、呆れるばかりにおしゃれでした。私のパリの家の一階には、高級メゾンのお店があるんだけれど、最近は全然人が入らないの。せっかくだからとお店に入ってみたら、何百万もするものばかり。何も買わないで出るのも申し訳ないと思って、マフラーを買ったら20万円もしました。でも、すぐ虫が喰ってしまって。さぞかし高級素材が美味しかったんでしょう(笑)。パリでは、閑散としたブランド店に対して、古着屋はすごい人! 洋服店の経営に失敗した人たちがみんなそこに持っていくから、掘り出し物があって、1000円も出せばいいものが買えます」
この日のフジコさんは、10年ほど前にニューヨークで買ったという蝶のモチーフのネックレスを首にかけていた。
「お店の人には、200年ぐらい昔のものだって聞きました。これは気に入っていて、毎日つけています。今日つけているイヤリングの片方は、この間どこかのホールで弾いているときに転がり落ちて、どこかにすっ飛んじゃった(笑)。古いものが好きだし、お金が入るようになってからは、千代紙を買うように服を買っていた時期もある。でも、最近はもうアクセサリーや洋服は買わないことにしました。パリの金庫には300年ぐらい前のダイヤモンドもあるんだけれど、怖くて金庫に入れっぱなし。それに舞台衣装は、私の縫子が縫ってくれるから」
古いものを見ると、「昔、どんな人が使っていたんだろうと考える」というフジコさんは、サンタモニカの家も、その古さが気に入ったらしい。
「チャップリンが活躍していた頃の、1920年代に建てられた家です。私は、アメリカ人の大らかさが好きなので、若ければアメリカにもっと長く住みたかったなと思う。ドイツでは、物事を深く洞察する人たちとの出会いも多かったけれど、おせっかいの石頭にも悩まされました(笑)。フランスは、もっと個人主義なので過ごしやすいけれど、ちょっと物足りないときもある。アメリカ人は、フレンドリーだけどおせっかいじゃないし、いろんな人種がいるから、人間観察をするのも面白いです」
演奏が認められたのは60代の後半。でも若いときに成功したかったとは思わない
フジコさんが、アメリカやヨーロッパにも家を持っているのは、バカンスを過ごすためではなく、世界中で演奏会をするときの拠点として便利だからだ。日本でも、毎年コンスタントにツアーを行っているが、アメリカやヨーロッパでも、フジコさんの演奏旅行は毎回、観客を熱狂の渦に巻き込んでいる。ピアノへの向上心は果てしなく、今も毎日のレッスンは欠かさない。
「演奏が認められるようになったのは、60代の後半でした。でも、だからといってもっと若いときに成功したかったなとは思わない。若い頃はわからないことが多いから、人前で演奏するときも、『これでいいのかしら?』と不安だったのが、今は『これがいいんだ。これが自分なんだ』と自信が持てるようになってきました。私が人生の中で絶対にしなかったのは、人を羨むことと、人の真似をすることのふたつです。私は子供の頃からよく絵を描いていたけれど、大好きな(葛飾)北斎は、猫の尻尾だけでも何千回も描いて、ずっと研究しつづけたと言います。そんな話を聞くと、私にはそれはできないから、絵描きとしてはやっていけなかった。ピアニストでよかったと思う。
私は、絵でも音楽でも、それを表現する人の人間性や、どういう人生を送ったかということまでひっくるめて興味があります。私の演奏も、数奇な人生が音に表れているからこそ、年齢を重ねてから広く大勢の人に受け入れられたように思うのです」
・6月08日(木)開演19:00 サントリーホール 大ホール
・6月21日(水)開演15:00 フェスティバルホール
※10月末から福岡を皮切りに冬のツアーも開催予定。詳細決定後にコンサートドアーズWEBサイトにて順次発表されます
【チケット購入】
電話: 03-3544-4577 (平日10:00〜18:00)
WEB:コンサートドアーズWEBサイト
奇跡のピアニスト
フジコ・ヘミング 最新アルバム『Adagio』発売中
どんなときも、音楽とともに
2022年秋、ヨーロッパ公演ツアーのなかでレコーディングされたフジコ・ヘミングの最新アルバム『Adagio(アダージョ)』は、フジコさんの音楽上のパートナー、マリオ・コシックとの共同プロデュースで実現しました。 「ゆっくりした気持ちになってほしい」というふたりの思いからセレクトされた4曲は、マリオ・コシックの指揮で、マリオのよく知る「ブラチスラバ シンフォニーオーケストラ」とともに、スロバキアのスタジオで収録。さらに、フジコさん自身のセレクトによるピアノソロ2曲(ライブ録音)を加え、最新、最高のアルバムが完成しました。ステージ写真とオフショット、フジコさんの言葉を伝える16ページの特製ブックレット付き。
フジコ・ヘミング×マリオ・コシック
アルバム『Adagio』(アダージョ)
CD+特製ブックレット/ジュエルケース
価格:3000円
【収録曲】
1 モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467より第2楽章
2 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」変ホ長調 Op.73より第2楽章
3 ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11より第2楽章
4 ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43 第18変奏曲 変ニ長調
5 リスト:ラ・カンパネラ((パガニーニによる大練習曲)第3番嬰ト短調S.141の3)
6 ショパン:ノクターン 第2番 変ホ長調 Op.9-2
※CDは会場限定販売です
問い合わせ先:コンサートドアーズ
03-3544-4577
【写真】フジコ・ヘミングさんの彩りのある暮らしのひとこま
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撮影/沼尾翔平
取材・文/菊池陽子
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