「意見をしゃべらせる権力」ではなくて、「聞くことの力」

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朱:我が意を得たりと思って聞いていました。一問一答が問題になっていましたけど、実際には「検索の仕方」ですよね。それに、一問一答をしゃべって、ひろゆきみたいに断言して論破したい人が問題になっているというより、それを見て喝采したい、オーディエンスでいたいという欲望の方だなと思っていたんです。

杉谷:確かに、誰もが答える側、話す側、意見を言う側に回りたいわけではないし、一問一答において、いい感じの「答え」を見たいわけですよね。

朱:そうそう。誰もがしゃべりたがっているわけじゃないんだけど、でもこの今の世の中って、大学がそうであるように、みんな自分の意見をしゃべらせなさいという方向に権力を働かせるわけですよね。

ファシリテーションなんかは典型的で、基本的には自発性を発揮しなさいということを強制するタイプの権力。

谷川:ちょうど最近、そういう権力を「自由促進型権力」と名付ける議論が出てきましたが、まさにそういう感じですね(渡辺健一郎「演劇教育の時代」『群像』2022年12月号、および『自由が上演される』講談社)。

朱:意見を話すスキルだけでなく、意見を話させる類のスキルセットを養成しようとする流れもあるわけですよね。ファシリテーターを養成して、ワークショップが主宰できますだとか。

なぜこんなことが求められているのかというと、市民の意見を収集して、コンセンサスを形成し、それが政策に反映されたんですよという建て付けを作っていく上で大事だからですよね。

参加型行政を進めていく上で、しゃべらせる権威としてファシリテーションが要請されている。大学などで、そういう人を養成する課程もあるとはいえ、別に大学はそれだけやっているわけでは全然ないですよね。

この本の企画にある「ネガティヴ・ケイパビリティ」という言葉を聞いたときに連想したのが、僕が学生時代を過ごした大阪大学の鷲田清一さんが推進していた、哲学対話や哲学カフェです。いくつかのやり方や流派がありますけど。

──哲学対話とか、哲学カフェって何ですか?

谷川:集まりごとに違いはありますが、簡単な対話のルール(何でも話して構わない、話を遮らずに最後まで聞くなど)を設定して、市民同士がざっくばらんに話し合う実践です。

特定のテーマ、たとえば「友達とは」みたいなものが掲げられていることもあります。ただその場合も、講座やシンポジウムのように、何か教え伝えるものではないです。

朱:僕は、大阪大学の文学部研究科の哲学・哲学史研究室出身なんですけど、鷲田さんは隣の臨床哲学研究室にいたんです。その鷲田さんが当時よく言っていたのが「聞くことの力」です(『「聴く」ことの力:臨床哲学試論』ちくま学芸文庫)。

哲学対話にも「ファシリテーター」はいるんですが、これは参加型行政がアリバイ的に求める「意見をしゃべらせる権力」ではなくて、むしろ聞くことに徹すること、聞く側でどこまでいけるかということが求められるんです。

聞く力がたとえばどう活きてくるかというと、哲学カフェを実践している友人から話を聞くと、さっきの話じゃないですけど、マンスプレイニングおじさんというか、「俺の話を聞け」というタイプの方がいらっしゃって、場を制圧するらしいんですね。

哲学カフェは、「聞きますよ、話してください」というルールがあるから、そういう説明したがる人の言動にお墨付きを与えてしまう側面がある。だから、隣の研究室にいた僕は、複雑な思いで見ていたところがあるんです。

でも、話を本題に戻すと、長年哲学カフェのファシリテーターをしていた友人で、大阪大学の臨床哲学者である鈴木径一郎さんによると、そういう方がなんで同じ話を何度もするかというと、「話を聞いてもらえてない」と思ってるんですって。

自分が言ってるのにみんなが「またか⋯⋯」という顔をしていたり、話題もなんか流されたりして、自分の話を聞いてもらえていないと思っているから、もう一回説明しなきゃという風になる。

つまり、相手に伝わるような仕方で聞いているよという姿勢が取れたとき、その方は、抑圧的で一方的な説明ではなくて、その場で会話のやりとりを回してくれるようになるということだそうで。

谷川:聞く力は意識的に養う必要があるのかもしれない。聞くことは、ネガティヴ・ケイパビリティの一つの表現と言えるのかも。

 

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本書では「陰謀論とナラティヴ」「アテンションエコノミー」「徳とプライバシー」をキーワードに、ネガティヴ・ケイパビリティの魅力と実践可能性を掘り下げる三回の対話が収録されています。ネガティヴ・ケイパビリティについてもっと知りたくなった方は、ぜひ書籍を手に取ってみてください。


谷川嘉浩(たにがわ・よしひろ)さん
1990年、兵庫県に生まれる。哲学者。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在、京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。単著に『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『鶴見俊輔の言葉と倫理』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学』(勁草書房)、共編著に『〈京大発〉専門分野の越え方:対話から生まれる学際の探求』(ナカニシヤ出版)などがある。

朱喜哲(ちゅ・ひちょる)さん
1985年、大阪府に生まれる。哲学者。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、大阪大学社会技術共創研究センター招聘教員。主な論文に「陰謀論の合理性を分節化する」(『現代思想』2021年5月号)、共著に『信頼を考える』(勁草書房)、『世界最先端の研究が教えるすごい哲学』(総合法令出版)、共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(勁草書房)などがある。

杉谷和哉(すぎたに・かずや)さん
1990年、大阪府に生まれる。公共政策学者。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得認定退学。博士(人間・環境学)。現在、岩手県立大学総合政策学部講師。著書に『政策にエビデンスは必要なのか』(ミネルヴァ書房)、論文に「EBPMのダークサイド:その実態と対処法に関する試論」(『評価クォータリー』63号)、「新型コロナ感染症(COVID-19)が公共政策学に突き付けているもの」(共著、『公共政策研究』20号)などがある。

『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる ―答えを急がず立ち止まる力』
谷川嘉浩(たにがわ・よしひろ)/朱喜哲(ちゅ・ひちょる)/杉谷和哉(すぎたに・かずや) さくら舎 1980円(税込)

「ネガティヴ・ケイパビリティ」とは謎や不可解な物事、問題に直面したときに、簡単に解決したり安易に納得したりしない能力のこと。即断せずわからないままに留めながら、揺れながら考え続ける力とも言えます。先行き不透明で変化に満ちたこの世界を生きるために必要なこの能力を、新進気鋭の哲学者・谷川嘉浩、哲学・倫理学とビジネスを架橋する哲学者・朱喜哲、エビデンスに基づく政策を研究する公共政策学者・杉谷和哉の3人が、データビジネス、アテンションエコノミー、SNS、倫理・哲学など、さまざまな切り口から語ります。


構成/大槻由実子