神田先生は続ける。
「そんな方法があったら飛びつかない? そう、ネットの書きこみだ。安全な場所から安易にコミュニケーション欲求を充足できるし、危険になったらすぐ撤退もできる」

神田先生はたたみかける。
「炎上に参加すると、仲間に入った気になる。祭りに参加、乗り遅れちゃヤバい、みたいな⋯⋯」

「バスに乗り遅れるな」
生徒の一人が声を上げた。時流に乗り遅れるな、という意味の言葉だ。神田先生の発言から連想したのだろう。

「なるほどね。(炎上や祭りに加わって)みんな仲間、俺も仲間、みたいな感じか。乗り遅れちゃヤバい⋯⋯」
と神田先生。

写真:Shutterstock

スクリーン上で、マズローのピラミッド三段階目の「社会的欲求(帰属欲求)」と「炎上に参加、祭りに参加」をリンクさせてみせた。ネット上の書きこみと人間の欲求の関係を説明したいようだ。

 

もう一段上の「承認欲求」についてはこう言った。

「ツイッターをやっていると、『いいね』がたくさんついたほうがうれしいよね。僕だって、何もつかないとやっぱり寂しい。『いいね』一つでもあると、うれしいものだ」

私も心の中で「分かるな」とつぶやく。

最後はピラミッドの頂点の「自己実現の欲求」だ。神田先生は、スクリーンに映されたピラミッドを見つめながら、ゆっくり話す。

「自己実現のために、自分を高めるって本来なかなか難しい。でも、安易な方法がある。人をおとしめて他者より優位になったと感じることで、自己実現欲求も満たされた気になってしまうんだ。さらに『正義を行使した』という高揚感のおまけつきだ」

神田先生は、マズローの欲求五段階説のピラミッドに、ネット上の誹謗中傷で満たされる欲求を重ねた図をスクリーンに示した。そして、一呼吸置き、生徒たちに改めて伝えた。

 

「ネット上の書きこみは、人間が持っている欲求を非常に安易な方法で充足できるってことだ。ただ⋯⋯」
と神田先生は続けた。

「あくまで『かりそめ』だよね。本当に充足させるには努力が必要だ」

現実世界でマズローが言うような欲求を満たすには、それぞれの段階で努力が必要だろう。でも、ネット上の書きこみは、スマホと指さえあれば安易に欲求が満たされてしまう。そういうことを神田先生は伝えたいらしい。

課題図書『突然、僕は殺人犯にされた』には、スマイリーキクチさんを中傷した「加害者」が、取り調べの過程で述べた弁明も記す。

「離婚をして辛かった」「妊娠中の不安からやった」などという身勝手な言い訳だ。神田先生はその点に触れた。

「じゃあどうすれば良かったんだろう?」

「再婚とかじゃない?」――。生徒たちは口々に言い合う。

「もう少し考えてみよう」
神田先生がそう呼び掛けながら「充足感がない。時間だけはある、そういう心の隙間にネットがつけこんでくる」と言いかけたとき、一人の生徒がつぶやいた。

「俺は時間だけはある」
神田先生が反応した。

「そう! 今『俺は』って言ったよね。自己実現感がなくて時間だけはある。何が言いたいかというと、実はけっこう⋯⋯」

神田先生は再び「けっこう」と繰り返し、続けた。

「君たちに関係しない? って話なんだ」