君たちに関わる「わな」

写真:Shutterstock

〈アイデンティティー〉

〈モラトリアム〉

神田先生はスクリーンにキーワードを示して問う。
「この言葉知ってる?」

「アイデンティティーは知っているけれど、モラトリアムは分かりません」とある生徒。

 

神田先生は言葉を替えて再び問う。

「君たちは『なぜ僕は僕なの?』とか考えたりしない? 抽象的な思考で自分探しを悩み始めるのが、中二、中三ごろと言われている。つまり、アイデンティティーに悩み始めるのは中二、中三ぐらいなんじゃないかな」

ある生徒の声が教室に通った。
「めちゃくちゃ分かる」
次に、「精神的にも不安定」という声も上がった。

神田先生はうなずきながら、
「モラトリアムは『猶予期間』のことだ」と説明する。

「何を猶予されているかというと、社会にどう関わっていくのか、その決定を猶予されているんだね。社会との関わり方が猶予されている。身体は十分できあがっているにもかかわらず、社会との関わりは薄い。でも⋯⋯」
と続ける。

「時間だけはある。ここらへん、すごくネットが君たちをはめる『わな』となって責めてくるところだから。君が今想像しているのと比べものにならないぐらいの自己実現感のなさとか、他者からの排斥、集団への帰属感の薄さが、これからの人生で君に訪れるかもしれない。想像を絶するようなものが、だよ」
神田先生は生徒たちを真っすぐ見つめて言った。「そのときに、それでも自分はネットに逃げこんだりしない、ネット中傷などしない、大丈夫、という君たちであってほしいわけよ。もしくは、そういうときに、ネットは君を誘いこむ危ない装置だということも、覚えていてほしい」

これは現代文の授業なのか⋯⋯

この言葉は、私の胸にも迫るものだった。

「加害者になるな」
「他人事のように考えるな」

神田先生は懸命に伝えていた。心理学や哲学で確立されてきた概念と現代的なネット中傷の課題を行き来しながら、生徒たちは自分に引きつけて考え始めている。果たしてこれは、現代文の授業なのか⋯⋯私は一瞬分からなくなったが、これからを生きる子どもたちにとって、大切な「教育」のあり方を見た気がした。

私自身にも引きつけてみる。神田先生が言うように、想像もしなかったような悲しみは、人生の中で時に訪れる。その大小は本人しか測れないだろうが、悲しみのない人生なんてない。私にも、自暴自棄(じぼうじき)になりそうなときが、確かにある。そんなときに、自分を維持しようと「はけ口」を求めないか。手元のスマホでストレスを発散しようとしないか。「そんな発想にはならない」と、私は完全に言い切れるか。

ここで、授業終了を告げるチャイムが鳴る。

「次回は『正義の行使感』について考えよう」
何が正義か。正義に反することとは何か。正解がない問いだ。
 

著者プロフィール
宇多川 はるか(うだがわ・はるか)

1984年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。2007年、毎日新聞社入社。仙台、横浜支局、デジタル報道センターなどを経て、23年5月よりくらし科学環境部。主に子ども・福祉・ジェンダーの分野を継続取材。共著に『SNS暴力 なぜ人は匿名の刃をふるうのか』(毎日新聞出版)など。

 

『中学校の授業でネット中傷を考えた 指先ひとつで加害者にならないために』
宇多川 はるか 講談社 1540円(税込)

ときにはその激しい言葉が人の命まで奪ってしまうネット上の誹謗中傷。全国でもトップの東大進学率を誇る開成中学の神田邦彦教諭(国語担当)が「ネット上の誹謗中傷はなぜ起こるのか?」「どうしたらなくせるのか?」を生徒たちと考え、議論した特別授業の記録。
 



構成/大槻由実子