私たちを救う、「複数のアイデンティティ」

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有名レストランに入社したディビヤは、幸運にもカリスマシェフのサポートを受け、新しい事業を立ち上げることに成功します。ビジネスパートナーとして良い関係を築いていた二人ですが、徐々にシェフはディビヤに高圧的に接するように。彼は強引に事業に介入し、最終的には裁判沙汰に。結果として、ディビヤは全身全霊をかけて取り組んでいた事業を手放すことになってしまいます。

 

ディビヤは会社から退き、深い絶望感の中に放り込まれました。そして久しぶりに「じぶん時間」を過ごし、色々な自分の顔を再発見していきます。この経験を通じてディビヤは、当時のディビヤが「自分の価値は仕事だけではない」ことを知らなかったことで、権力者に搾取される隙をつくってしまっていたと振り返ります。

この時期のディビヤのように、さまざまなアイデンティティを育むと誰しも人生の困難を乗り越えやすくなると、心理学の研究は示している。逆を言えば、ひとつしかアイデンティティがないと変化に対応するのが難しいということだ。『静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す』

複数のアイデンティティとは言っても、しいて言えば「仕事人間」と「家庭人間」の二択でそれ以外は何も思いつかない……という人も多いかもしれません。新しい趣味やコミュニティを見つけるというのも、言うほど簡単なことではありませんよね。本書に登場する心理学者は、「新しいことに挑戦してそれがうまくできなくても自分を責めないこと」とアドバイスします。

年を重ねると、新しく何かに挑戦したり、人と出会ったりすることに臆病になります。好奇心が薄れ腰が重くなるというのもありますが、失敗したり恥をかく羽目になったりするのを恐れる気持ちがそうさせるのかもしれません。しかし、何かひとつのこと(仕事)に人生を縛り付けられないためには、「失敗しても気にしない」「恥ずかしいと思いすぎない」という身軽な気持ちを持つことが大切です。

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思い返してみれば、近年の私たちは、仕事に「意味」や「目的」を求め過ぎていたのではないでしょうか。

「仕事を通して自己実現する!」
「社会的意義のある仕事をしたい!」
「やりがいのある仕事をしている素敵な私!」

そしてそれは、ファッションやメイクでも同じこと。究極的には「身だしなみ」「身体の保護」が目的なのに、装いで自分を表現しないといけないと私たちは思いすぎているのでは?

しかし実は、私たちはそのことに疲れ果てているのです。「もっと静かに、自然体で生きたい」と願っている現代人の潜在意識が、今の「静かさ」ブームの背景にあるような気がしてなりません。


文 /梅津奏