『ある船頭の話』で長編映画の監督としてデビューしたオダギリジョーさん。明治(らしき時代)を舞台に、描かれる主人公は、山間で渡し船を操る船頭の老人。建設中の橋の工事にかかわる都会人や、村の常連客、往診に向かう医師、一家殺害事件が起きた翌日に転がり込んできた謎の少女……周辺の人々とのエピソードを積み重ねてゆく映画は、それと同じくらい印象的な美しい自然が魅力的です。出品が決まったヴェネチア国際映画祭について、「嬉しいですよね、船頭の町の映画祭ですし」と冗談を言いながら、インタビューは始まりました。

 
 

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便利さばかりが追求される世の中で、美しい何かが消えていく


山間を流れる大きな川、その流れにせり出した洲に立てた小屋に住み、物語の主人公・トイチは船頭をしています。お客さんが来なければ日がな一日眺める川面は、夏の日差しにきらめき、靄が忍び寄るように滑り、夕日の中で赤く染まります。

「日本の自然の美しさは季節があることだと思うんですよね。例えば1年中変わらない砂の景色の中で暮らすアラビアの人が見たら、そのうつろいに驚くと思います。そういう部分を映画に描いておきたかったし、同時にその中で人が過ごす時間の流れもとらえられることができると思って」

『ある船頭の話』メイキング写真より。

特に夕日の美しさが決め手になり選ばれた新潟県の阿賀野川は、撮影の条件としては最も悪かった場所。もしかしたら本当に美しい自然は、そんな場所だから残っていたのかもしれません。「便利さばかりが追求される世の中で、美しい何かが消えていく」――それが、この映画の脚本を書く時にオダギリ監督の頭にあったこと。「船頭」は、それを代表する存在だったそうです。

「その当時、熊本の球磨川で渡し舟をしていたある船頭さんの存在を知り、取材に行ったんです。2週間ぐらい生活をともにさせてもらったのですが、いろんなことを感じましたね。渡し舟には、船頭さんと乗客が舟で共にすごし、周囲の景色を見る時間があり、乗客には舟に乗る理由があり、両者に生まれるコミュニケーションもある。大げさな出来事がなくても、それらの小さなドラマは美しいなと思ったんです。船頭さんのあり方も心に触れました。渡し舟を利用するお客さんんは、1日にせいぜい一人いるかいないか。でも船頭さんはそんな状況にひねくれることなく、お客さんを一日中待ち続け、現れたお客さんを渡す。そして“誰かの役に立てて嬉しい”という言葉を本当に素朴におっしゃっていたんですよね」

© 2019「ある船頭の話」製作委員会

船頭の渡し場の近くには、完成間際の大きな橋が。「橋ができたら便利になるねえ」。トイチの舟に乗りながら、客たちは無邪気に言います。時代の中で無意識に、無為に流されてゆく人たちに、オダギリさんはちょっとした抵抗を覚えているようです。

 
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