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雅子さまに一目惚れした皇太子さま、3カ月の間に4回の運命の赤い糸

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猛烈に勉強した、まだ幼さの残る奥手な女性


昭和61年(1986年)10月18日、東京・元赤坂の東宮御所(現・赤坂御所)において、東京国立西洋美術館で開かれたエル・グレコ展のために来日していたスペインのエレナ王女を歓迎する皇室主催の茶会がありました。
その日は、赤坂御用地内の馬場で皇室伝統の馬術「打毬(だきゅう)」も披露されました。

招待客は、外務省関係者や学者などおよそ120人。その中に、雅子さんの姿がありました。恆さんの先輩にあたる中川融(とおる)さん(元在ソ連日本大使)から雅子さんのことを聞いていた宮内庁が、エレナ王女と同じ年頃の女性ということで、特にメンバーに加えたもののようでした。
そのころ雅子さんは、外交官試験に合格したばかり。美貌というよりは、猛烈に勉強した、まだ幼さの残る奥手な女性という印象だったそうです。

外交官試験終了日に大学の同僚と打ち上げを。写真/宮内庁提供

その日、初めて紹介された皇太子浩宮さまと雅子さんは、軽く挨拶を交わした程度でした。

「(外交官試験に)合格してよかったですね」
珍しく積極的に声をかける浩宮さま。
「はい、ありがとうございます」
ていねいに会釈する雅子さん。

当時26歳の浩宮さまは、このとき、スーパーレディに一目惚れしたのです。
のちに浩宮さまは、雅子さんの第一印象を、
「けた外れにスケールの大きい女性」
と語っています。

それに対し、雅子さんはどう思われたのでしょう。
雅子さんは、帰宅すると祖母の江頭寿々子さんにこう尋ねました。
「おばあさま、浩宮さまって、そんなにおえらいの?」
「浩宮さまは、将来、天皇になられる方ですよ」
「じゃあ、私、すごい方に会ったわけね」
驚いた雅子さんは、こう言ったといいます。だからといって、どうというわけでもありません。そのときの雅子さんの頭の中は、国際舞台で活躍する外交官となる夢でいっぱいだったのです。