婚家から歩いて15分、自転車で5、6分の場所にある、2階建ての花屋。 その2階にあるひと部屋、1Kが賃貸に出ていたのです。水道代込みで 6万2千円。すぐに部屋が借りられたのも、パートとはいえ仕事をしていたからだと思います。専業主婦のままだったら、たとえ小さなアパートでも賃貸契約は結べなかったかもしれません。 「それならわざわざ別居しなくてもいいでしょう」と、不思議に思う人もいるかもしれません。

でも、この風変わりな別居と、通い子育ては、思い返しても、当時それしか道はなく、あの生活があったからこそ、10代だった息子たちとのいい結びつきが生まれたと思っています。

「二人の息子たちはまったく違う性格で、母との付き合い方もそれぞれ個性があって面白いです。長男とはLINEでひとことだけのやりとり」



仕事から婚家に直行。風変わりな別居生活を必死にこなす。


この別居のときに心の支えになってくれたのは、息子の小学校PTA仲間のお母さんでした。彼女はわたしのことを「LEEママ」と呼んでいました。「LEE」は創刊されたばかりで、家庭もおしゃれにも手を抜かない女性をイメージした女性月刊誌でした。ダンガリーシャツとデニム、ボーダーのカットソーというようなカジュアルなファッションが誌面を飾っていたのですが、ちょうどわたしがそんな服装だったからでしょう。そう呼ばれて果たして、自分はそうなのだろうか。

 

実際、仕事をしているからといって、家事をおろそかにするのはイヤだったし、おしゃれも手抜きせず、まわりにも感じよく思ってもらえるように心がけていました。たぶん、ムリしていたんでしょう。あのころは気づきませんでしたが、ひとり暮らしを始めて、心から深呼吸できるようになりました。 わたしはまわりのことが気になるタチなのか、手の抜きかたがわからなかったのだと思います。