学歴は“席取り合戦”の参加チケットだった

 

「結局、多くの人が大学に行こうとし、熾烈な受験戦争まで起きたのは、大学に行くことが就職するためには必要だったからだ。日本は戦後長い間、右あがりの成長を続けた。“いい会社”に入ることができれば安泰だったのだ。
もちろん、大学に行かなくても就職口はあったが、安定して高い給料がもらえる“いい会社”は競争率が高かった。
そして、なぜそこで競争が起きたかというと、大企業の席が少なかったからだ。つまり、人口が増え続けたから、“いい会社”の採用枠に対して応募する学生が圧倒的に多かった。
大勢の中から少数を採用するため、企業は採用基準を設ける必要があった。それが学歴だった」

 

ポスト団塊ジュニア世代であり、就職氷河期世代、失われた世代と言われた筆者も、この「大学に行くことが就職するためには必要だった」という時代の空気はひしひしと感じていました。大企業への就職は、もはやそれだけで揺るぎのない未来を手に入れた“勝ち組”のようなもの。「正社員になりたいなら学歴がないとお話にならない」――この最低条件は“いい会社”に限らず、多くの企業にとって同じだったように思います。

「もちろん、必ずしも“高学歴=仕事ができる”わけではないのはみなさんもご存じだろうが、手間やコストをかけずに採用するには、学歴が最もわかりやすい指標となった。
採用する側としては高学歴の学生を採用しておけば、“東大ならだめでもしかたがないね”と人事担当者も社内にいいわけができた。TOEICの点数での足切りなどを採用基準に設けた企業もあったが、これも採用の手間とコストを軽くしようという学歴と同じ理屈だ」