子どもや女性、若者の貧困問題をテーマに執筆するルポライターだった鈴木大介さん。鈴木さんの妻は発達障害で夫妻に子どもはおらず、妻は働く意志もなく自発的に家事をするでもなく、TVと猫とゲームにまみれて家から出ようとしないプチ引きこもりでした。

シングルインカムでワンオペ家事の鈴木さんは、いつしか妻に叱責や暴言をぶつけるモラハラ男になってしまいます。しかし41歳のときに脳梗塞で倒れ「後天的発達障害」ともいえる高次脳機能障害になったことがきっかけで、ふたりの関係性は激変。鈴木さんは妻の「不自由」や「苦手」を徹底的に考察し家庭改革に乗り出します。現在の鈴木さんは高次脳機能障害の当時者として、多くの体験記や援助職向けの指南書等を執筆しています。

鈴木さんの著書『発達系女子とモラハラ男 傷つけ合うふたりの処方箋』(漫画:いのうえさきこ、晶文社刊)から昨日は鈴木さんが「ロールの呪い」から解放され、妻をどんな人にも自慢できるようになるまでの道のりを紹介しました。今回も同書から一部抜粋し、鈴木さんが「ロールの呪い」から解放されるまでの思考のプロセスと、発達障害女性が家庭内で特性を障害化してしまう原因を紐解きます。

 


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発達系女子を障害化するジェンダーバイアス


さあ、この展開は、思考のプロセスをすっ飛ばしたらまるで読者さんのついて来れない極論だと思うので、丁寧にフォローしたい。まえがきに但し書きをしたように、本書を「発達障害特性のあるパートナーを持つ人へ」ではなく「発達系女子のパートナーへ」とした理由が、このロール問題にある。

考えてみて欲しい。

発達障害特性を持つ男性と女性。そのいずれもが生活のシーンで様々に特性を障害化させてしまうとは思われるけれど、パートナーシップ形成の上で欠かせない「家庭運営」というシーンにおいては、その障害化の相はずいぶんと違ったものになってくると思わないだろうか。

まず、いまだ横行する「家事は女性の役割だ」というジェンダーロールのもと、ただでさえ特性を障害化しやすいマルチタスクの集合体である家事は、当事者女性にとって最悪の障害化ステージになってしまうのは言うまでもない。

一方で、男性はどうだろう。昨今ではようやく家事育児に協力しない・主体性を持たない男性には家庭内人権が無いみたいに言われるようになってきたけれど、そこにかかっているバイアスは、女性とは比較にならないほど軽い。

例えば我が家のケースに引き寄せれば、仕事をしつつ家事もこなす僕は、ワンオペのつらさを味わいながらも周囲からは過剰な評価を受けていたと思う。独り暮らしの男性が家事をやっても「まめな人」だが、家事力の無い妻を抱えた家庭で家事の主体を担う夫だった僕は、周囲から「大変なパートナーを抱えて頑張るすごく偉い人」「仏な夫」扱いされていたように思う。

そして、その背後に、妻の障害特性を理解せずに叱責を重ねて追い込む「最悪のDV夫」という加害性を持っていることについて、誰かに指摘されたことなんか、一度たりとも無かった。

 

けれど、僕の立場が女性だったら、同じ評価には絶対ならなかったろう。

女性なら、家事に主体性を持つのは当たり前、できて当たり前というバイアスのもと、「夫が家事を手伝わないなんてよくある話過ぎる」「でも夫が仕事してないわけじゃないならまだマシ」みたいなあるあるトークに絡め取られてしまうのがお定まりだろう。行き着く先が、カサンドラだ。

どうだろうか? 

もう、「家庭運営」というステージにこびり付いていたジェンダーバイアスは、間違いなく女性当事者に不利に作用すると断言しても良いと思う。何より凝り固まったジェンダーロールという規範の下では、発達障害特性のある女性は「被害的」な立場に追い込まれやすい。

これが、パートナーシップと家庭運営というステージでのお困りごと解消を描く本書における「当事者」を発達系女子(女性サイド)に限定した、最大の理由だ。

 
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