2020年春、デビュー以来所属してきた事務所を離れ、独立。個人事務所を構えてから約1年が経った女優の米倉涼子さん。
40代半ばで人生の転機を自ら選んだ理由、経営者という肩書きが増えてからの女優業との両立など、この1年の出来事を改めて振り返ってもらいました。

 

 

――昨年の3月に独立して、個人事務所「Desafío(デサフィオ)」を立ち上げニュースにもなりましたが、独立はいつ頃、決断したのでしょうか。

一昨年の秋には考えはじめて、その年末には自分なりに決断していました。
ずっと頑張ってきた安心感のある場所にいたいという気持ちと、ここにい続けていいのかという思い、そのバランスが崩れていったのだと思います。
でも大きかったのは、これから活動を続けていくなかで自分が納得した仕事をしたいという思いです。オファーのあった仕事を自分で考えて選びたいな、と。

 

――米倉さんはコロナの感染が本格化する前、去年の春先まで、タンゴを学ぶためにアルゼンチンに行っていたそうですが、独立までの準備が短く、大変だったんじゃないですか?

いざ独立することになって、まず会社名を決めました。それがスペイン語で“私は挑戦する”という意味を持つ「Desafío」です。
事務所の物件も帰国直後から探し始めて、たった3日後には「ここいいね!」って即決。だいたいの希望エリアを不動産会社に伝えて、図面をあらかじめ見ておいて、内見で3カ所くらい回ってすぐに決めたんです。

「自分で選んだ家具がなかなか届かない!」なんてこともありましたけど、本当に大変だったのは会社の登記とか、その後の実務的なことで、行政書士さんや弁護士さんと会って「今日はこれが必要です」「これをやってください」の連続!

「何を目的として会社を作るのか」という内容について全部で25個くらい候補をあげたりもして、ハンコを押す量が一気に増えました。
去年の春頃は、区役所にしょっちゅう行っていましたね。

――すべて自分で足を運んだんですね。それが意外です!

 

だって「代わりに誰がやってくれるの!?」っていう(笑)。
コロナのこともあって誰もが外出は控えたいだろうし、打ち合わせや必要なことはすべて自分で行いました。
もちろん書類の作成などは弁護士さんたちにお願いするのですが、びっくりするくらいわからない言葉がたくさんあって。

撮影もできない時期だったので、それをひとつひとつ理解して、「会社ってこうやって作っていくんだ」ということを自分で実感しながら一歩一歩進めたことは、すごくいい体験でした。

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