短歌をはじめ、エッセイ、評論など幅広い分野で活躍中の歌人・穂村弘さん。今回、31年前に自費出版された幻のデビュー作『シンジケート』が新装版として登場、発売後即重版がかかるなど話題です。ときめき、憧れ、懐かしさがぎゅっと詰まった本作品は、読む人の心を一瞬でキラキラとした別世界に連れて行ってくれる、ステイホーム時代にぴったりの一冊。今回は穂村さんに、この30年間を振り返りながら、失われたもの、新たに生まれたものについて伺いました。穂村さん流のSNSとの向き合い方も!

 

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あの時あって、今はないもの。あの時なくて、今はあるもの


「シンジケート」には、かつてはどこにでも存在した、けれども最近は見かけなくなったものがたくさん登場しますね。例えばコードのついた受話器(外れたままにしておくと、ツーっと音が鳴る)、缶飲料のプルトップ、自販機についた栓抜きなど。ミモレ世代にとっては、これらの言葉は懐かしく響きます。

「そうですね、この本の中には、30年で世界がどれくらい変わったかが計測できるような風物が出てきます。例えば受話器は我々の時代のもので、今の人にとっては「異物」ですよね。あとは、カルピスを飲むと「おり」みたいなものが口から出るという話が出てきますが、あれもずいぶん前に改良されて、今は出ないらしいんです(笑)」

「白くておろおろしたもの」ですね。わかります。あれ、なくなってしまったんですか…。

「そうすると、今の読者はあれを、おそらく何かの象徴や比喩として読むことになりますよね。でも実際カルピスを飲んで口から変なものが出たことのある人は「あれはリアルだ」っていうね。

でも、この30年の一番大きい変化はそういう個々の事物ではなく「1990年には世界は1個しかなかった」ということです。今は、世界は2個ある。それは何かというと「リアル」と「バーチャル」ですね。

我々はそれをもう完全に内面化していますよね。つまり手紙はリアル、メールはバーチャル。住所はリアル、アドレスはバーチャルみたいに、言葉の使い方で、もうそれらを棲み分けているんです。

リアルに身を置いている時も、バーチャルの事は念頭にあるし、バーチャルの中に入っている時も当然リアルの意識は残っている。

例えば電車の中など、ほとんどの人がスマホを見てる状態というのがしばしばありますよね。あれはリアル的には何か半透明というんでしょうか。半分は資源を向こう(バーチャル)に持っていかれている状態。だからスマホを見ながら歩いてくる人は、かなり劣化したリアル状態でしょう。反応が鈍いというか、何かぶつかってくるな、とか(笑)」

わかります(笑)

「そういった世界の二重性が『シンジケート』の時代にはなかったということ。これがやはり最大の変化だと思います」

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『シンジケート[新装版]』より
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