誰かを喜ばせているときに「生きる意味」を感じることがある


生きている意味を見失っている人のなかには、「自分の存在意義」が分からないという人も少なくありません。
そういう人は、「自己重要感を失っている」こともあります。自己重要感とは、平たく言えば、「自分は重要な(価値のある)人間なんだ」と思えること。自分を必要としてくれる人がいると、感じやすくなるところがあります。
「人を喜ばせるためにはどうしたらいいのか」ということを考えながら、日々を過ごしていくと、人から必要とされたり、自分をより肯定できるようになったりすることはあるでしょう。それは、ボランティアなど何か特別なことをしなくても、日々、関わる人たちに対して優しさをもって接するだけでも、随分、変わってくるものです。
他の人に「優しさ」という愛を投げかけると、自分自身の心が暖かくなることが多いもの。それは、自分の中に愛が増えたからかもしれません。だから、愛の出し惜しみをしないほうが、自分自身が幸せでいられるところはあるでしょう。

 

人によっては、動物を飼うことで、「自分の存在意義」を見出せるようになる人もいます。ペットは飼い主がいないと生きていけない存在であり、また無条件の愛情を与えてくれます。
ペットの世話は大変なところもありますが、その分、飼い主の内側に愛が増え、幸福感に満たされます。愛や安らぎを感じているときに、「自分は何のために生きているのだろう」と考える人は稀なので、ペットに愛情を注げば注ぐほど、飼い主の心が安定するところはあるのかもしれません。

ただし、人によっては、「そんな些細なことでは、自己の存在意義を感じられない」という人もいるでしょう。そういう人は、自分に対して高い理想があり、その通りになっていないために、自己の存在意義を見出せなくなっています。
「もっと出世したかった」「有名になりたかった」と悔やんでいる人は意外といます。そういう人は、「本当にそんな理想通りの人でなくてはいけないのか」と根本的な部分から疑ったほうがいいでしょう。幸せになるために、出世や有名になることが絶対に必要というわけではないのです。
誰もあなたの存在意義を否定していません。否定しているのは、自分に過ぎないのです。それを理解したとき、「自己を苦しめているのは、自分自身であること」に気づくことでしょう。

負の感情を抱きながら「何のために生きているのだろう」という疑問が生まれてしまうと、悪い方向に進んでしまう恐れがあるため、それを防ぐためには、「夢や目標を持つこと」「自分の存在意義を感じること」などが役立つことがありますが、実際は、そういったものがなくても、ただただ「生きること」に意味があります。それについては、次のページで紹介します。