「せっかく、してあげたのに!」と母親に怒られたことがある人、逆に、自分自身が家族に対して言ってしまうことがある人は、少なくないのではないでしょうか。家族など近しい関係であればあるほど、こういった言葉を投げかけてしまうことは多いものです。
「せっかく、してあげたのに!」と言ってしまう人が、知っておいたほうがいいことがあります。それは何でしょうか。


そもそも「それは、相手が喜ぶこと」だったのか?

 

頼んだわけではないことをやられて、「せっかく、してあげたのに!」と怒られてしまうと、嫌な気分を味わう人は多いでしょう。
この言葉には、「私はせっかくあなたのためになることをして、感謝されることを望んでいるのに、どうして喜んでくれないの?」という気持ちが隠れています。それは、言われる側にしてみたら、“親切の押し売り”です。

そもそも、その「してあげたこと」が、相手にとっていいこととは限りません。たとえ親子であっても、親は子供が本当に望んでいることを理解していないこともあります。
例えば、母親が子供の好きな食べ物を作ったとしても、子供は「今は、他のものが食べたい」と思っていることもあります。また、親が子供を心配することであっても、子供は「心配するよりも、もっと自分のことを信じてほしい」と感じていることもあります。

多くの親は、「自分は子供のことを理解している」と思いがちですが、逆に、自分が子供の頃、親は100%自分のことを分かってくれていたでしょうか?
……そんなことはないですよね。子供のころに親に気を使った経験がある人は多いものです。

この「せっかく、してあげたのに!」という言葉は、親しい間柄であればあるほど、言ってしまうものです。それはなぜかというと、近い関係だと「自分は、相手の喜ぶことを理解しているはず」「自分が頑張ったことを、相手が受け止めるのは当然のことだ」という思いが生まれやすいからです。

親は、たとえ自分が良かれと思ってしたことでも、子供が喜ばなかったときは責めるのではなく、「自分が相手を分かっていなかった」ということを理解したほうがいいもの。
もちろん、親子とはいえ“違う人間”なので、理解しきれないのは当然のことです。分かっていないことは悪いことではありません。
でも、自分がしたことを無理やり相手に受け止めさせようとするのは、違います。

 


「見返りを求める人」が欲しいものとは


世の中には、「自分が善意(愛情)をもってやることは全ていいこと。それを相手が受け止めてくれないのは、ひどいことだ」という被害者意識を抱いてしまう人がいます。
もちろん自分が愛情を込めてしたことを相手が受け取ってくれないと、傷つくものです。ただし、そこに込めたのは、「“本当の愛”なのか」というと、そうとも言えません。
なぜなら、本当の愛は「無償」です。逆に、自己愛に近い愛情は、「見返り」を求めます。つまり、自分は「愛」だと思っていても、実は「自己愛のほうが強い」こともあるのです。

「せっかく、してあげたのに!」と言う人ほど、愛情に飢えている可能性があります。だから、「もっと自分を褒めてほしい。認めてほしい」と思ってしまうところがあるのでしょう。
そういう人は、精神的に自立し、自分で自己を認め、愛せるようになる必要があります。それができるようになると、心が安定し、人からの感謝や賞賛を必要以上に求めなくなってきます。

結局、自分をきちんと愛せていないと、人のことも愛せません。そして、人から愛されにくくなります。その根本的なことを理解し、改善しない限り、同じ失敗を繰り返しては、悲しい思いをしてしまうことは多いでしょう。

ただし、日頃は見返りを求めないような人でも、「無理をして相手のためにしたこと」に関しては、感謝されることを求める傾向があります。それはどうしてなのでしょうか。次のページで紹介します。

次ページ▶︎「無理をしたことほど、見返りを求めやすい理由」について

【漫画】理不尽な要望をする母親
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