戦後日本の障がい者に対する強制不妊手術


アツミ:戦後日本の旧優生保護法もベースにナチスの優生思想があると聞いたことがあります。今も国による断種(強制的に不妊手術を施すこと)を巡って裁判が行われていて、先日、初めて国の賠償責任を認めた判決が出ましたよね。初めて、ってのがびっくりなんですが。

戦後日本の「旧優生保護法」とは
1948年に議員立法で成立された「不良な子孫の出生防止」をうたい、障がいのある人への不妊・中絶手術を認め、本人の同意を得ない強制手術も容認する法制度。
 

浅田:2018年から複数の裁判が始まりましたが、「旧優生保護法は違憲」との判決は出るものの、賠償請求は「請求できる20年の『除斥期間』を経過している」として退けられてきました。でも、今年やっと、「原告の提訴が困難だった環境」が考慮された判決がでました。強制不妊手術もだし、長年声を上げられなかったのも、「障がい者は不幸、家族も大変。増やすべきじゃない」という偏見・差別がまかり通ってきてしまった結果です。

バタ現実として、障がいのあるこどもの子育てが、金銭的にも時間的にも家族の負担が大きいのも問題ではあるとは思いますが、法律で「断種」というのは、あまりに非道です……。

浅田:一番の問題は、障がい者は不幸、その家族も不幸と第三者が決めつけ、そこに本人の意思が反映されていないことだと思います。旧優生保護法も規定としては「本人の意思を確認する」となっていますが、本当に判断できる状況だったのか。親とかお医者さんに「あなたには無理だから手術を受けなさい」と言われたら、反抗するのはすごく難しいですよね。

でもそういう偏見は今もあるんです。相模原事件を番組にした時は、「もし自分が寝たきりの障がい者だったら耐えられないし、犯人の言うことは理解できる」という視聴者の声がありました。一緒に番組を作っていた障がいのある方は「そう考えてしまう人が気の毒」とおっしゃっていました。問題は障がいがあるか否かではなく、彼らに「障がいがあると周りに迷惑をかけてしまう」と考えさせてしまう社会にこそ、病理があると思うんですよね。番組を作りながら「そこを突き止めていかなければ」と感じました。

 

バタ人々が優生思想に傾倒しやすい時代、というのはありますか?