ごった煮、だけどそのしたたかさやたくましさが誇らしい
 

筆者は長らく、ごった煮感のあるこの沖縄文化を「節操がない」とあまり良いイメージで捉えることができなかったのですが、ある日、作家・島田雅彦さんが書かれた雑誌記事を読んで脳天を撃ち抜かれました。島田さんはその記事内で沖縄文化の特徴を「無意識過剰」と表現されていました。とりあえず無意識に何でも取り込むけれど、自分たちの文化としてしっかりかたちづくっていく、といった意味でこの言葉を用いていたと思います。外からもたらされたものをアレンジするのは日本本土の文化にも見られる特徴ですが、沖縄がそれとはちょっと違っているのは、もたらされた「状況」でしょう。

昆布貿易の中継地となった琉球王朝時代は薩摩藩の支配下にありましたし、アメリカ文化が入ってきたアメリカ統治時代は当然、アメリカ合衆国が施政権を握っていました。いずれも沖縄(琉球)にとっては逆境で、怒りや恨みもそこかしこで炸裂していたと思われますが、それはそれとして、文化に関しては拒絶せずどんどん取り入れていった。これこそ「無意識過剰」のなせる業ではないでしょうか。そのしたたかさ、たくましさを今さらながら誇らしく思います。

逆境さえも味方にしてしまうチャンプルー精神を、『ちむどんどん』のヒロインにも体現してほしいと願わずにはいられません。コロナ禍などで世の中の先行き不透明感が増している今、人々が欲しているのはこのしなやかな生命力だと思うからです。

 


ヒロインの下宿先を知って安心した理由

写真:Shutterstock

ちなみに、上京後のヒロインの下宿先は、神奈川県横浜市の鶴見に設定されているとか。ご存じの方も多いと思いますが、鶴見には戦前に沖縄から出てきた労働者やその子孫によって形成された沖縄タウンがあります。ここもまたチャンプルー精神を感じられる場所で、沖縄系の物産店や飲食店に交じって、南米系の物産店や飲食店が点在していたりします。

この状況を不思議に思うかもしれませんが、実は沖縄は南米(特にブラジル)とも深い関わりがあります。明治時代に多くの沖縄人が南米へ移住したことが発端なのですが、その二世、三世の時代になっても深い交流が続き、そんななかで南米の文化も沖縄文化にチャンプルーされていきました。その辺もドラマで描かれたら面白いでしょうね。

鶴見の人々は沖縄在住の人々とは異なる歴史を歩んできたわけですが、それはそれで幾多の苦難を経験したと聞いています。筆者はそういう痛みを分かり合える人々のいる場所にヒロインが住めることに安堵しています。親元を離れたヒロインが壁にぶち当たっても、周りには頼りになる人がたくさんいる。そう思うと毎日穏やかな気持ちで見ることがきるでしょうから。……放送が始まる前から、もう完全に親目線です。



文/さくま健太
構成/山崎 恵


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