「モテたい!」と思う人は、男女問わずいるものですが、実際にモテたら、幸せなのでしょうか?
若い頃はモテることに必死だった人も、歳を重ねれば重ねるほど、「単にモテたところで、幸せ」というわけではないということに気づく人は、意外といます。それはなぜなのでしょうか?


モテているからといって、愛されているわけではないことも

40歳を過ぎて、「モテる人が大して幸せではない」と気づいた理由_img0
 

残念ながら、交際前の段階で本当の意味で人を愛せる人は、そんなに多くはありません。自己愛を愛だと勘違いしている人もいるくらいです。
だから、極端なことを言ってしまえば、相手に好意を抱いていても、「自分にとって都合がいいから好き」程度であることは少なくありません。

例えば、「自分の話を聞いてくれるから」「優しそうだから(自分に尽くしてくれそうだから)」「ルックスが好みだから」「付き合ったら、自分のステータスが上がりそうだから」など、“自分”が一緒にいると幸せになれそうだから(=自分にとって、都合がいいから)好きだということが多いもの。
まるで「好みのカバンがあるからほしい」くらいの感覚で、相手と「付き合いたい」と思う人は意外といます。
それは「愛している」のではなく、「気に入っている」だけなのです。

 


それ、愛じゃなくて、自己愛と欲望だから!

本人は愛しているつもりでも、相手を「自分の思い通りにしたい」と思い、自己愛や欲望をぶつけてしまう人は少なくありません。
そういう人は、基本、「相手を深く理解しよう」ではなく、「自分を理解してほしい。受け止めてほしい」と自己アピールし続けます。
なかには、相手が「気持ちには応えられない」と断っているのに、なかなか諦めず、押せばなびくだろうなんて、電話&メール攻撃をしてくる人も……。

とはいえ、たくさんの人にモテることでメリットがある人はいます。例えば、自己肯定感の低い人であれば、「モテている=自分には存在価値がある」という判断基準を持ち、自信を持つのに役立つことはあるかもしれません。また、モテることが、なにかビジネスに直結する人にとっては、何かしら利点はあるでしょう。
でも、そうではない人にとっては、好きでもない人に自己愛や欲望を投げかけられるのは、うれしいどころか、むしろ面倒だと感じることは多いもの。場合によっては、迷惑行為であることすらあるのです。

しかも、自己愛を抱いている人ほど、「可愛さ余って憎さ百倍」になりやすく、振られた後に恨みを感じることは少なくありません。「自分にとって“都合の悪い相手”になった」ので、怒りを感じてしまうのでしょう。

「モテるからといって、幸せになれるわけではない」のは、モテている人を観察すると見えてくるところもあります。次のページで紹介します。

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