「第1ボタン」を留めていないと面接で落とされる?

 

中学生の時は、とにかく服装に関する校則が厳しかったです。女子は髪の毛が肩についてはダメ(全員ショートへアでした)。靴下や靴は真っ白しかダメ。リュックは無地のみ。スカートはマキシ丈でないとダメ。男子は第1ボタンも留めなければダメ――。高校入試が近づいた時、入試に向けた学年集会があったのですが、入試の注意事項でこんな話をされました。

「うちのある生徒が、推薦入試の面接で、第1ボタンを留め忘れていたことを、部屋から出て気づいた。“もちろん”その生徒は落ちました。第1ボタンを留めていない生徒は、普段の生活の乱れがそこに出ていると思われてしまうのです。みなさんも気をつけましょう」

それを聞いた生徒は「え、こわい。気をつけよう」と恐れおののきました。ですが、そもそも第1ボタンで人間性をはかろうとする面接官の感覚を疑います。そんなことで合否が決まるなんて、あまりにバカバカしい。しかも、本当にそれが理由で落ちたかはわからないのに、それを平然と言ってしまう先生のことも理解に苦しみました。こうした、よく考えるとわけがわからないけれど、さも正しいことであるかのように教えられたことって、無限にあるなと思います。

 

「主体性を育む」と言いつつ先生には絶対服従?

 

様々書いてきましたが、学校にある不文律。その筆頭は「先生は絶対正しい」ということかもしれません。先にも触れましたが、先生と生徒では圧倒的な立場の差があります。先生の言うことは絶対。たとえ正当な理由がなく、理不尽な指導でも、逆らえば内申に響いたり親に言われたりするかもしれない。そんな恐怖から、先生に指摘したり言い返したりすることは、簡単ではありません。

筆者は小学生の時、先生に対してわりとはっきり言うタイプでした。
「それってなんでですか?」「おかしいと思います」
すると、
「あんたはいつもうるさい」「ダメなものはダメ」
と睨まれ、あからさまに態度を変えられたりしました。

学校の方針で、よく「主体性を育む」といった文言を目にします。社会に出たら、主体性は社会人としてとても大事なポイントだと思います。しかし学校は、「言われたことやる」「決められたことだけやり、逆らわない」ことを徹底的に教え込まれる場所だなと思うのです。高校の時、主体性を育むために、台風などの日でも休校の連絡をせず、各自で登校するかどうかを判断する、というものがありました。

校則でガチガチに行動を制限し、主体性を発揮する場はほぼないのに、災害時の登校の時だけ主体性を発揮しなさい、という謎の司令。振り返ってみても、主体性の意味はき違えていないか? と今でも疑問が残っています。

学校では、自分で考える力を発揮するより、とにかく決められたことに従うことが求められます。違和感を持つことや理不尽に抵抗する力を、知らず知らずのうちに奪われているような気さえしてきます。実際、先生に進言することは簡単ではないですが、「おかしい」と思う感覚だけはどうか忘れないでほしいです。
 


文/ヒオカ
構成/金澤英恵
 

 

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