もしかすると聴者は「ろう者はおとなしい」というイメージを持っているかもしれません。でも三宅さんは「むしろすごくタフな人たちで、賑やかで積極的な方もいれば落ち着いた方もいて、当然人それぞれです」と言い、その後に「こういう社会によって、図らずもタフになってしまった、とも言えるかもしれないんですが」と言い直します。「集中しろ!」という声が飛び交うジムの中、その声が届かない場所でひたすら練習する姿。口に出せない言葉を書き連ねる日記。音声言語を発していなくても、小さな身体の全身に「納得できないこと」に対する強い感情を発しています。

岸井ゆきのさん(以下、岸井):最初の頃は「人を殴ること」まで気持ちを持って行くことができなかったんですが、やっていく中で「誰かに向けた力じゃなく、結局はやっぱり自分に向かっている力なんだな」って。本当に感覚的なことでしかないんですけれど、それ以降は本当に楽しくて。とにかく強くなりたくて、家でも自分で筋トレしたりしました。

 

三宅唱さん(以下、三宅):ボクシングを練習して初めに発見したのは、正面から向き合うことで何か自由になっていくところだと感じましたし、手話のコミュニケーションでも同じことを僕自身は感じました。手話も相手の正面に向き合わないと、コミュニケーションが成立しませんから。だからキャメラも、ボクサーのように手話話者のように、なるべくまっすぐ向き合ってこの世界を捉えたいと。それに、全力で取り組んでいる岸井さんの全身、できる限りの全てを捉えたいと思いました。

 

岸井:その時はそこまで冷静に思っていたかわからないけれど、今、確かに感じているこの感情が、映画に映っていたらいいなと。「このシーンで何を伝えたかったか」とかそういうことじゃなく。

三宅:結局のところ、映画だからこそやれることは、生身の肉体を空間とともに捉えることだと思うんです。人間って言語によるコミュニケーションをしながらも、その言葉の意味だけでなく、相手の仕草やちょっとした間、まなざしなどから、意識せずとも自然といろんな感情を受け取るものだと思うんです。現実だと相手をジロジロ観察するのは難しいけれど、スクリーン越しなら堂々と人間を見つめられるから、普段目に留まらないような小さなことも意識できる。それが映画館のスクリーンで人間を見る面白さだなとずっと思っていたんですよね。