若い男性は“下働き”で、若い女性は“捧げ物”。得しているのは……?


数年前に元局アナの男性たちと話した時に、こんな本音を聞きました。「若い時には、スポーツ選手の取材をしようと必死に資料を作ってもチャンスがもらえなかった。特番の収録で、若手男性アナが駐車場で選手たちの車の誘導をさせられている時に、同期や後輩の若い女性アナはスタジオで選手と共演し、プロデューサーや選手たちと一緒に打ち上げに行っていた。スポーツに関して何の知識もなくても、ただ若い女性というだけで起用されているのを見て、なんとも言えない気持ちになった」と。悔しい思いをしている20代の男性アナに「いや、君をこんな目にあわせているのは女性アナではなく、若い女性ばかりを起用する上司たちだ」と言っても響かないでしょう。

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スポーツや報道の現場では、取材対象者が男性であることがほとんどなので「女子を行かせれば話してくれる」という理由で若手の女性が起用されることがあります。いわばメディアから取材対象者の男性への“捧げ物”として、若い女性が差し向けられるのです。女性アナや記者が取材先でセクハラや性暴力被害を受けても(実際にそういう例は数多くあります)、上司や同僚は守ってくれず、泣き寝入りをせざるを得ないことも。“捧げ物”起用の根っこには、女性を性的なモノのように考える強固な女性蔑視があります。しかしその構造の只中にあると、男性も女性も問題になかなか気づけません。起用の理由が性差別的であることには思い至らず、取材のチャンスを得た女性は「女で得をした」と思い、男性は「女はずるい」と思ってしまうのです。

 

若い男はチャンスに恵まれないと言っても、年功序列の男性社会では、じっと耐えていれば事態が改善します。30代以降は仕事で評価されるチャンスが増え、40代ともなれば権限が手に入る。同世代の女性が育児と仕事の両立に苦しんでいても「若い時にお前がおっさんにチヤホヤされている横で、俺はしばかれてたんだぞ。おばさんになってからもまだ特別扱いしてくれなんて、甘えるな」と思うだけ。自身の妻が出産後に仕事を続けられないのは家計に響くから困るけれど、誰かの妻が働けなくても知るもんか、というのは矛盾していますよね。これも責めるべきは女性ではなく、育児と仕事が両立できる制度を整えていない会社なのですが、女性への恨みが先に立ってしまう。知らんぷりをしていればいい会社は、しめしめでしょう。