受付嬢が目にする驚きの大企業舞台裏


「ああ~、正面玄関に運転手付きの車で乗り付けたお客様のこと?」

備え付けのポットで緑茶を入れてから、紗季は8人がけのテーブルについた。出勤する受付スタッフは6人で1階と2階それぞれの入口に配置される。1時間ほど着席すると、休憩がローテーションで回ってきて、それを9時から18時のうちの8時間シフト中で繰り返す。したがって控室のテーブルに全員がそろうことはなく、それぞれの席にマグカップや手鏡が置かれていた。

「そうですそうです、16時30分アポの、見るからに数十万もするスーツ着て、百万円の腕時計で手ぶらで会長宛てに来たあの男子学生!」

「ああ……時計は見てないけど、いたねえ。美加ちゃん、腕時計なんてよく見てるわねえ」

 

7センチヒールの黒いパンプスを脱いで揃えると、紗季はお茶をすすりながら苦笑した。後輩の美加は、半年前に入ってきた受付スタッフで、珍しく独身の28歳。ちょっと気が強そうな目とツンとした鼻が印象的で、若い男性来客は吸い寄せられるように彼女のところに行く。

「あたりまえですよ、受付票をいただくときに腕時計と社名チェックはもはや無意識の領域です! あの新卒君、あの名字で、あの様子って、たぶん噂の某財閥御曹司ですよね? 会長のところに直接採用面接に来る大学生って……なんか30社受けた新卒の時の私が知ったら、耐えられないわ」

紗季はうんうん、とうなずきながら、オヤツにとっておいたピエール・エルメのチョコレートを美加に一粒勧めた。

 

大企業、とくにここのような超大手総合商社の受付は、いろいろなシーンを見ることができる。

日頃は接点のないような有名企業の社長、政治家、広報関連の芸能人、コメンテーター、そしてちょっと得体のしれない人……。

紗季たちが働く会社は、来客をもてなすという基本精神があり、受付スタッフもできるだけ顔と名前を一致させるように言われている。冗談みたいな話だが、研修中は控室で「主要なお客様の写真かるた」でプロフィールをたたき込まれた。

また、社員は数千人におよび、検索システムを駆使して、ときに断片的な情報で正確に来客が訪ねる部署に取り次がなくてはならない。したがって、誰がどのような人と付き合っているかも概ね把握していたし、ときにエントランスホールの奥にある商談スペースから驚くような話が漏れてくる。

受付スタッフには、意外にも「熟練の技」と「ポーカーフェイス」が求められるのだと、紗季はここに来て初めて知った。

紗季も美加も、入ったころはたくさんの取次ミスをして、先輩受付嬢にこっぴどく叱られ、鍛えられてきた。プロ意識の高い職場だった。数カ月して、ようやく慣れてきた美加は、周囲を見渡す余裕ができたということなのだろう。後輩が職場に定着してくれたことが紗季は嬉しかった。

「紗季さんも、そんな世の中全部訳知り顔してると、再婚期のがしちゃいますよ! 見た目は20代っていっても通じるくらいの美魔女なんだから、やる気だしてがんばらないと! 職場は狩場ですよ!」

「美魔女って……微妙に褒めてないから、美加ちゃん……。私はもういいの、結婚とか色恋とかお腹一杯」

げんなりした表情を浮かべる紗季を、美加はケラケラと笑う。どうやら冗談だと思っているらしい。紗季はバツイチ勤続6年、最年長であることを腫物扱いしない後輩たちに感謝していた。

「あーあ、今日は遅番で18時帰りだからがっかり、と思ったけど、紗季さんと一緒なら嬉しい。あと1時間、がんばります! チョコごちそうさまでした!」

2人は、最後のシフトに向けて、控室を出発した。

そこで「事件」が起こるとも思わずに。