私たちは意外と「愛」を誤解しているところがあります。本当の意味で「愛される」とは、どういうことなのでしょうか。
また、愛される人の特徴は何でしょうか。

 

「モテる」と「愛される」は違う

「愛される」ことの誤解...本当の意味で「愛される人」ができていること_img0
 

「モテる」と「愛される」は違うところがあります。
恋愛における「モテる」とは、好かれていて人気があることです。ただし、モテ続けるのは意外と難しく、相手の都合で簡単に気が変わってしまうこともあります。
さらに、相手から「自分のパートナーにしたい」と思われることが多いがゆえに、自分のものにできなかったときは、好かれなくなることも少なくありません。

本当の意味で人を「愛する」というのは、「ありのままの相手を受け止め、成長と幸せを願うこと」です。一度、愛してしまうと、相手がどんな姿になろうと、どんな状況になろうと愛し続けられることが多いです。
たとえ相手が自分のものにならなくても、相手の気持ちを尊重し、無償の思いで相手の幸せを願うのです。

よく「愛というのは、親が子を思うようなもので、恋愛とは違うよね」と言う人がいます。もちろん恋愛関係でここまで愛せる人はなかなかいませんが、逆を言えば、「巷の恋愛には、本当の愛が少ない」とも言えます。
そして、多くの人は、自分の中から湧き上がる依存心や欲望によって「相手を求めること」を「愛」だと勘違いしてしまっていることが多いのです。
 

多くの人が抱きがちな「愛の誤解」


人を「愛する」というのは、「自分にとって都合のいい人間だから好き」というのとは違います。
たとえば、「私(僕)に尽くしてくれるから、付き合っている」「ステータスが高いから、素敵だと感じている」という思いは、愛ではないことも。
どちらかというと、「相手と一緒にいると、自分にいいことがあるから好き(=自己愛の延長)」に過ぎないことが多いのです
逆を言えば、相手が自分の望むような優しさを見せてくれなくなったり、社会的地位が低下したりしたら、好きではなくなってしまうこともあるでしょう。つまり、“その程度の愛情”というわけです。

もちろん、「優しかった相手が自分に対して意地悪をするようになっても愛し続けろ!」なんて言っているわけではありません。誰もが相手を愛するだけでなく、自分のことも愛さなくてはいけません
ただ、単なる自己都合で相手への気持ちが変わってしまうようであれば、もともとそこには「本当の愛」がなかったのかもしれません。

好きな相手にモテるために、容姿を磨く人は少なくありません。それ自体は悪いことではないのですが、そこにも「愛の誤解」があります。それについては、次のページで紹介します。
 

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【漫画】愛されたい彼女が見落としていること
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